ギリシア英雄たちの裏事情
渡辺浩先生のエッセイ集がわかりやすくて、とても面白い。
テミストクレスには、アリスティデスというライバルがいた。アリスティデスは温厚な性格で、テミストクレスは功名心が強く、他人への嫉妬心に燃え、他人を味方と敵に二分して付き合う性格。
BC490年、マラトンの戦い。アテネ軍は10人の指揮官が日替わり交代で指揮していたが、アリスティデスが当番の日、ミルティアデスの才能を認めて、ミルティアデスに指揮を譲って、数時間で大勝。ミルティアデスが国民的英雄になり、アシストしたアリスティデスも名声が高まった。それを見ていたテミストクレスは嫉妬心に燃え上がった。
BC489年、さらなる功名心に燃えたミルティアデスは無理を承知でパロス島侵攻し、傷がもとで死去。
テミストクレスは海軍の重要性を弁論であおり、重装歩兵重視のアリスティデスを攻撃。
BC483年、アリスティデスの陶片追放が成立。ラウレイオン銀山発見。
BC480年、各ポリスから有志を募った第一次陸軍部隊が、アケメネス朝ペルシア王クセルクセス軍をテッサリアで迎え撃とうとしたがあっさり撤退。デルフォイ神託も手伝って、テミストクレスが海軍中心の防衛体制を敷き、国外追放者の帰国が許され、アリスティデスもアテネに帰国。
BC480年、第二次陸上部隊をテルモピレーで奮闘するスパルタ王レオニダスにつけ、海上部隊をエウボイア島アルテミシオンに派遣。テミストクレスが不人気で、スパルタのエウリュビアデスが指揮を執った。折しもオリュンピア祭典中で、人手が集まらず、レオニダス王が玉砕。アテネ防衛は破られて、パルテノン神殿放火炎上。アルテミシオン海戦は神風のおかげで引き分け。
エウリュビアデスはコリントス地峡への後退を主張、テミストクレスはサラミスでの決戦を主張。後退すれば、サラミス、アイギナ、メガラの海上部隊と、アテネ避難民たちを危機に陥れることになるとテミストクレスが熱弁、その意見が通る。
テミストクレスは、クセルクセス王にスパイを送り、信じ切ったペルシア艦隊がコリントス海峡を全面閉鎖。そこへアイギナから小舟をこいでアリスティデスがサラミスに到着。信望厚いアリスティデスが熱弁でテミストクレスへの不信感をぬぐい去り、団結心が戻った。
ギリシア海軍は小型船を敏捷に動かして1日でクセルクセス艦隊が全滅した。
BC479年、自国での奴隷反乱を恐れていたスパルタに、戦えの神託が下った。プラタイアの戦い。スパルタ司令官パウサニアス指揮のもと、テルモピレーで辱めを受けた国民的英雄レオニダス王への弔い合戦と化した。
ようやく国民的英雄となり功名心を満たしたテミストクレスだったが、のちに陶片追放。追手に追われてアルゴス、コルフ島、ついにはペルシアに亡命、クセルクセス王から丁重にもてなされることになる。第三次ペルシア戦争への協力だけは頑なに断り続けた。
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