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2026年6月 6日 (土)

ボイオティア連邦、アイトリア連邦、アカイア連邦、リュキア連邦

連合も連邦も共通の中央機関をもつ。連合は、構成体が中央機関に優越して、必要最小限の主権を委譲する。中央機関には構成体の代表が参加するのみで、議員の選挙などにより市民がその決定に直接関与できない。連邦は、構成体と中央機関の関係が対等であり、構成体の代表から成る議会と、市民が直接選んだ議員から成る議会が併存する。本来、構成体と中央機関の主権の分担を明記した憲法が不可欠であり、近代的なアメリカ合衆国憲法を待たねばならない。これを「連邦国家」と呼ぶ。古代ギリシアにはそんな憲法は存在せず、「連邦」と呼んで、「連邦国家」と区別する必要がある。

1 部族国家(エトノス)

2 都市国家(ポリス)

3 連邦(コイノン)

この3者が混在したのが、古代ギリシアの社会体制だった。政治情勢によって、同じ用語でも意味合いが変化することに最近の研究は注目されている。エーゲ海に島は6000あるが、住めるのは200くらい。

 

アウトノミア(加盟ポリスと連邦の関係性)

自治

独立 

連邦の軍事警察力が強ければ、自治の意味。弱ければ、独立の意味。

 

連邦市民権と加盟ポリス市民権

政治的権利

私的権利

加盟ポリス市民権があれば、連邦市民権の「政治的権利」を行使できた。

連邦市民権があれば、加盟ポリス市民権の「私的権利」を行使できた。

 

プロクセニア

連邦が外国人に与えた特権。プロクセニアを付与された外国人をプロクセノスと呼ぶ。連邦加盟ポリス出身で、プロクセノスの身元保証人をエンギュオスと呼ぶ。この二つとも、公職経歴や出身ポリスと無関係に選出されていた。プロクセノスとエンギュオスはもともと親密な関係があり、連邦は便利なのでこれらを利用した。連邦の外交政策が、これら個人的な関係に委ねられていたと言える。

 

ボイオティア連邦(BC6世紀後半~BC171年)

テーベ アンテドン(テーベ軍港) タナグラ プラタイア テスピアイ カイロネイア コロネイア

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ペルシア戦争のとき、テーベ主導でペルシア側についた。ただし、プラタイアとテスピアイはギリシア側についた。ギリシア勝利で、テーベは主導権を失い、タナグラが主導権を掌握。

BC479年 プラタイアの戦い

アテネ&スパルタ 勝ち vs ペルシア 負け

プラタイアは、自治を保証された。

BC457年 タナグラの戦い 

アテネ 負け vs スパルタ 勝ち

BC457年 オイノピュタの戦い

アテネ 勝ち vs テーベ 負け

アテネがボイオティア連邦を解散。

BC447年 コロネイアの戦い

アテネ&デロス同盟 負け vs テーベ&エウボイア島 勝ち

テーベがボイオティア連邦を再建。

BC431~428年 テーベがスパルタ率いるペロポネソス同盟軍と組んで、アテネと組んだプラタイアを包囲・破壊。プラタイア人はアテネに逃れ、テーベ人が入植した。

BC424年 デリオンの戦い

アテネ将軍ヒポクラテス 負け vs テーベ将軍パゴンダス&ロクリス騎兵 勝ち

BC395~387年 コリントス戦争

アテネ&コリントス&ボイオティア連邦 負け vs スパルタ&ペロポネソス同盟 勝ち

BC387年 アンタルキダスの和約(大王の和約)

ペルシアは小アジアを領有。スパルタの覇権を承認。ボイオティア連邦は解散。

BC383年 テーベ親スパルタ派の手引きで、スパルタがカドメイア占領。

BC378年 テーベ民主派が主導で、カドメイアからスパルタ軍を撤退させた。テーベがボイオティア連邦を再建。

BC371年 レウクトラの戦い

テーベ将軍エパミノンダス&ボイオティア同盟 神聖隊の活躍で大勝

vs スパルタ王クレオンブロトス&ペロポネソス同盟 敗死

ボイオティア連邦は、スパルタ属州メッセニアを解放した。

BC362年 マンティネイアの戦い

テゲアとマンティネイアという隣接するポリスの内紛に大国が参戦。

テーベ将軍エパミノンダス(敗死)&ボイオティア連邦&テゲア 勝ち

vs スパルタ王アゲシラオス&アテネ&マンティネイア 負け

BC338年 カイロネイアの戦い

マケドニア王フィリップ2世 勝ち

vs テーベ&ボイオティア連邦&アテネ 負け

フィリップ2世がコリントス同盟を結成。ボイオティア連邦は解散。

BC335年 テーベが反旗を翻したため、マケドニアがテーベを徹底的に破壊した。

BC171~168年 第3次マケドニア戦争

ローマ執政官ルキウス・アエミリウス 勝ち

vs マケドニア将軍ペルセウス 負け

マケドニアが4つの自治領に解体された。

 

アイトリア連邦(BC3世紀初め~BC2世紀前半) 

68プットス、56ナウパクトス、72プレウロン、25カリュドン、73プロスケイオン、51テルモス(聖域)

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アイトリア人は後進的で野蛮であるという偏見が流布していた。しかしアイトリア人の海軍力はBC3世紀半ばまで脆弱であったため、連邦の政策としての略奪はあり得ない。

イソポリテイア ある共同体が別の共同体の市民に対して市民権を付与する。付与された市民権は、付与した共同体の領域内でのみ有効になるため、付与し合う各共同体は基本的に独立を保ったまま親密な友好関係を結ぶことができた。

アイトリア連邦とケオス島は、イソポリテイア(市民権相互付与)を結んでいた。

BC279~278年 ガリア人がデルフォイ襲撃。アイトリア連邦がガリア人を撃退した。さらにBC245年にボイオティア、BC241年にペロポネソスにまで侵攻するにつれ、アイトリア連邦はヒエロムネモネス(デルフォイ隣保同盟に送られる代表)の数をどんどん増やしていった。つまり、アイトリア連邦に有利な神託を創ることができた。アイトリア人は、「後進的で野蛮である」という偏見を払拭させるのが、デルフォイ神殿乗っ取りの目的だった。

アイトリア連邦は、デルフォイ隣保同盟にキオス島が加わることと引き換えに、イソポリテイアを結んだ。

隣接するエペイロス王国は、アイトリア連邦に脅威を感じ同盟を破棄。

BC239年 エペイロス王国とマケドニア王デメトリオス2世(BC239~229)が同盟。

デメトリオス戦争

アイトリア連邦&アカイア連邦 負け

vs マケドニア王アンティゴノス3世 勝ち

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BC220年代にも、アイトリア連邦はデルフォイ隣保同盟を餌に、ケファレニア島やペルガモン王国とイソポリテイアを結んだ。

BC228~222年 クレオメネス戦争

BC225年 アイトリア連邦は、デメトリオス戦争で非協力的だったアカイア同盟からの援軍要請を断った。

アカイア同盟&マケドニア王アンティゴノス3世 大勝

vs スパルタ王クレオメネス3世 大敗

BC220~217年 同盟市戦争

アイトリア連邦 負け

vs アカイア同盟&マケドニア王フィリップ5世(ヘラス同盟) 勝ち

アイトリア連邦は、デルフォイ特権は維持できたが、エペイロスやアカイアの領土を失った。

BC215~205年 第1次マケドニア戦争

アイトリア連邦は、ギリシア本土で最初にローマとの同盟者になった。

ハンニバルがマケドニア王フィリップ5世と同盟して、ローマとの戦争をけしかけた。

ローマ&アイトリア連邦&ペルガモン王アッタロス1世 勝ち

vs マケドニア王フィリップ5世&アカイア同盟 負け

BC200~197年 第2次マケドニア戦争

ローマ&アイトリア連邦&ペルガモン王アッタロス1世 勝ち

vs マケドニア王フィリップ5世 負け

*アカイア同盟は、スパルタとナビアの戦いの援軍のため、マケドニアに援軍できなかった。

BC192~189年 ローマ・シリア戦争

第2次マケドニア戦争でローマ主導の単独和平に不満だったアイオリス連邦がついにローマに逆らってしまった。

ローマ&アカイア同盟&マケドニア&ペルガモン王国 勝ち

vs シリア王アンティオコス3世&アイオリス連邦 負け

アイオリス連邦はデルフォイ特権を失い、ローマの従属的な同盟国になった。

 

アカイア連邦(BC5世紀末~BC4世紀末/BC281年~BC146年)

アイゲイラ、デュメ、メガレーポリス、シュキオン

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ギリシア本土において、アカイア連邦がマケドニアに次ぐ大勢力だった。

書記1人とストラテゴス(将軍)2人を輪番制で担当していた。

BC257年 制度改革でストラテゴス(将軍)1人に連邦の全権が委任された。任期は1年で連続就任は禁忌だったが、就任回数は無制限だった。

ノルモグラフォイ 一般公職。エトノスをアカイア連邦につなぎとめておくため、スパルタ(ラケダイモン)、アルゴスなどを任命した。

アカイア連邦は、周囲に反抗的なエトノス(部族国家)を抱えていた。コリントスはマケドニア支配下にあったし、アルゴスの僭主は親マケドニア派だった。地峡ポリスで最初にアカイア連邦に加盟したのが、シュキオンだったので、多くの代表が要職に就くことになった。これら反抗的なエトノスをどう手なずけていくかが、アカイア連邦の課題であった。

連邦とポリスの関係性だけではアカイア連邦の統治形態が説明できない。連邦とエトノスの関係性を論じていかなくてはならない。

アルカディア ドーリア人侵入の影響を免れた

アカイア ドーリア人に追放された先住民

エリス 王がアイトリア人と共通の始祖をもつ

メッセニア スパルタが因縁の敵

スパルタ 誇り高い最強のラケダイモン人

地峡 コリントス、アルゴス、シュキオンはバラバラでまとまりがつかない

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BC2世紀にアカイア連邦は、ペロポネソス半島全体を支配下に治めたが、スパルタやメッセネといった加盟ポリスへ十分な配慮をしなかったために、スパルタらがアカイア連邦を離脱した。

BC146年 アカイア戦争

ローマ 勝ち vs アカイア連邦 負け

ギリシア全土が属州マケドニアに併合された。

ポントス王国ミトリダテス6世がギリシアに独立を呼びかけると内戦。アテネはミトリダテス6世を支持したため、BC86年、スッラがアテネを劫凉した。

BC27年 アウグスティヌス帝はギリシア全土を属州マケドニアから分離して、属州アカイアとした。

ギリシア文化を習得することが、ローマ・セレブ層のステータスになった。ギリシアに心酔していたネロ帝は、デルフォイ隣保同盟を再建し、オリュンピア競技祭を復活した。ハドリアヌス帝は、神殿やモニュメントを再建し、豪華絢爛な都市景観が出現した。皇帝崇拝を推進し、ローマ中央政府に進出する者も現れた。

 

加盟ポリス同士の紛争解決には、外国人判事を招いた。連邦が積極的には関与しなかった。連邦は内紛を嫌ったため。

加盟ポリスと外部の共同体との紛争解決には、連邦が積極的に関与していった。連邦が恩に着せるため。

*ノルモグラフォイの配分方法

アカイア連邦 エトノスにまず配分し、各エトノスがポリスにさらに配分する。

アイトリア連邦 エトノスからポリスをバラバラに分解して、各ポリスに万遍なく配分する。

ボイオティア連邦 エトノスが一つなので、各ポリスに直接配分できる。

 

リュキア連邦(AD43年~4世紀)

BC6世紀後半、アケメネス朝ペルシア支配下にはいる。アテネのデロス同盟の支配下に入り、「大王の和約」で再びアケメネス朝ペルシアの支配下に入った。その後、アケメネス朝から分離独立しカリアを征服したヘカトムノス朝の支配下に入り、アレクサンドロス大王ののち、プトレマイオス朝の支配下に入った。BC197年、セレウコス朝アンティオコス3世が征服したが、BC188年、ロードス島に移譲された。BC167年、ローマによってロードス島から解放されたが、AD43年、内乱を口実にローマ属州になった。

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議会はパタラに設置した。海上航路の要所だった。

連邦の機能から、軍事が剥奪され、徴税が加わった。ノルモグラフォイ選出、司法といった内政機能は温存された。

*新しい公職

アルキエレウス 皇帝崇拝祭司

リュキアルケス アルキエレウス歴任者の集まり。枢密院のようなもの。

アルキフュラクス 徴税人

皇帝崇拝祭司団は、初期キリスト教布教を弾圧した。第3回ローマ布教でパウロがパタラに上陸している。シリアのカイサリア布教中に逮捕されたパウロがローマに送還される途中、ミュラに寄港している。ギリシア神殿風の彫刻を海岸絶壁に彫って墓にしていたが、キリスト教布教でカタクーム風の墓に変化した。

 

アメリカ合衆国は、リュキア連邦をそのまま再現している。ローマが汎アカイアに書簡を送っているが、これは、アメリカが日本に送っている「年次改革要望書」と同じものだ。汎アカイアが皇帝崇拝祭司を担ったように、汎日本にも大統領崇拝祭司になることを要求しているのだろう。

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ローマ = アメリカ合衆国

汎アカイア = 汎日本

連邦 = ?

エトノス = ?

ポリス = 47都道府県

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