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2026年6月12日 (金)

伊藤敏先生「地図で学ぶ深読み世界史」を読んで

世界の紛争地に思いっきりスポットライトを当てて拡大鏡でみた世界史です。ここさえ押さえたらぐうの音も出ないポイントの詳しい歴史がいいですね。分厚い世界史専門書何十冊分をギュッと要約してくれていてわかりやすいです。

第1部シーレーン

マラッカ海峡はアチェ王国の海賊行為で長らく通行不能だったことは、他書で知ってましたが、代わりのスンダ海峡が浅く、タンカーが通れないことは知りませんでした。ロンボク海峡、勉強になりました。

鄭和船団やポルトガルが寄港した東アフリカ沿岸を、オマーン帝国が徐々に支配していく図はなかなか貴重です。

2026年の共通テスト問題に出題されたソマリーランドの歴史もよくわかりました。

シーレーンに進出する中国は、フェニキア本土に住めなくなったカルタゴになるかもしれませんね。

第2部北西航路

地球温暖化で今後の発展が予想される航路。

経度問題。

1735年、ジョン・ハリスン「クロノメーター」発明。

1879年、ノルデンショルドが北東航路航行。

1906年、アムンゼンが北西航路航行。

第3部スイスのアルプス交通路

面白い中世のお話。教皇派と皇帝派で紛争するイタリア都市国家と、神聖ローマvsフランスの争奪戦がとくに面白い。このロタリンギア争奪戦、カール大帝の息子たちの世代からずーっとやってる。ダンテ、ダヴィンチ・・・

ギリシア・ローマ文明が滅んで、ずーっと忘れ去られていた重装歩兵戦術が思い起こされた時代。騎士敗れる!!「あれ?意外と強いじゃん。」市民がみな平等でみな徴兵でなければできない最強戦法。哀愁のランツクネヒトへと発展。「俺たちはついに自由の身になったぞ。」

近隣国へのスラヴ奴隷貿易で栄えたフランク商人経営のサモの国に従属して仕えていた宰相クラスのスラヴ貴族が、チェコ(ボヘミア)を建国。ゲルマン七選帝侯にちゃっかりおさまる。チェコはスラブでも格が上。

スイスを根源としてアメリカが孕む恐るべき原理主義のお話。

第4部巡礼

都市が聖遺物の争奪戦。中世温暖化からの巡礼、十字軍、レコンキスタ。それにしても下水汚物がひどかった都市。

1139年、教皇インノケンティウス2世が、テンプル騎士団に銀行特権を賦与。手形の発明。イタリアへ伝播し、複式簿記が発明される。テンプル騎士団が警備。イタリア海運業は、巡礼者と軍隊を運搬した。

12世紀に、十字軍の目的が聖地回復から異教徒粛清に変化。

ポーランド=リトアニア連合に敗れて、教皇のパシリをやめたドイツ騎士団。

多額の賠償金もさることながら、WW1後のダンツィヒ没落がドイツをWW2に駆り立てた。

第5部アフガニスタン

他書で読んだのだが、エラム人はもともとアフガニスタンに住んでおり、ラピスラズリを輸出して、実はドラヴィダ人ではなく、インダス文明を起こしたとも言われている。シュメールと交易するため、スサに移住してきた。謎が多い民族だ。

東南シルクロード 成都~雲南~ビルマ~ベンガル

セレウコス朝シリアは、ペルシア高原とシリア支配に熱心で、東部にまで目を配っていなかった。

グレコ=バクトリア王国からの大月氏クシャーナ朝。ゾロアスター教は来世の幸せを保証してくれないので、来世の幸せを保証してくれる仏教に改宗したとNHK番組で観たことがある。

三大国の時代。

エフタル王ミヒラクラ(515~540)が印欧族ミスラ教ミスラ神を信奉し、仏教弾圧。

ササン朝ペルシアはゾロアスター教アフラ=マズダ神を信奉。

西突厥は大乗仏教を信奉。

イラン  サファヴィー朝 → アフシャール朝 → カージャール朝

アフガン ホータキー朝 → サドーザイ朝 → バーラクザイ朝(アフガニスタン首長国)

「グレート・ゲーム」英露対決

ムジャーヒディーン運動

1919年 第3次アフガン戦争でアフガニスタン独立

アマーヌッラー・ハーン改革(近代化) → ハビブッラー・カラカーニー 

→ ナーディル・シャー → ザーヒル・シャー → ダーウード(王政廃止・共和国)

1978年 サウル革命 アフガニスタン人民民主党(ヌール・ムハンマド・タラキー)

1979年 ソ連アフガニスタン侵攻 ⚔ ムジャーヒディーン運動

アメリカ武器・資金支援からサウジアラビア武器・資金支援(ウサーマ・ビン・ラーディン)へ

1994年 ターリバーン(イスラム原理主義) 

アルカイーダ指導者ビン・ラーディンの身柄引き渡しを拒否。アメリカが実力介入。アフガニスタン・イスラーム共和国を樹立したが、2021年、ターリバーンにより政権交代。

第6部ラオス

タイ  スコタイ朝 → アユタヤ朝 

ラオス ラーンナー王国 → ラーンサーン王国

ラオス4分裂時代

清の反政府組織(黒旗軍)がベトナムに亡命、タイやラオスに侵攻。

仏領インドシナのフランス軍が黒旗軍を一掃、ラオスを保護国化。目的は、中国貿易ルート(ラオス・メコン川交通路)獲得。大英帝国のマラッカ海峡航路に対抗。

1940年 ナチス・ドイツがフランス占領、仏領インドシナは独領インドシナに変化。支那事変の長期化の原因となった援蒋ルートを日本軍が攻略。

国王派 vs 自由ラオス

ホー・チ・ミンの共産主義運動の影響で自由ラオスが共産主義化、「パテート・ラーオ」と呼ぶ。

1964~1973年 ラオス内戦

1965~1973年 ベトナム戦争

アメリカはラオス側からホーチミン・ルートを遮断しようとしたが失敗。

1973年 パリ和平協定、ラオス和平協定

1974年 パテート・ラーオを中心にラオス民族連合が成立し、王政廃止。ラオス人民民主共和国が建国。

広がる共産主義国の経済改革開放路線。

1978年 中国・鄧小平

1979年 ラオス

1986年 ソ連「ペレストロイカ」

1997年 アジア通貨危機

ASEAN以外に中国との関係を促進。

2021年、ラオス中国鉄道開通。ラオスを債務漬けにするものであり、莫大な不良債権の案件となっている。山岳地帯が険しく、ラオス国民は分断されており、人口増加もままならない状態で、見返りが期待できるのか?

現在、中国からラオスに大量移民。経済崩壊し公害毒物汚染激しい中国本土にはもう住めない。

第7部コンゴ

ルパ王国 コンゴ王国と東アフリカ沿岸都市と交易。

1836年 ポルトガルが奴隷貿易廃止。

6分裂していたコンゴ王国が、奴隷貿易から商品貿易へ転換。

1914年 コンゴ王国滅亡。

1854年、1866年 リヴィングストン探検

1871年 スタンリー探検

1883年 コンゴ自由国。ベルギー王レオポルド2世の私領になる。天然ゴム・プランテーションで先住民奴隷を虐待。

カッパーベルトで銅、ウランを採掘。

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