アテネ商業ネットワーク
アテネは最大人口20万人を抱えていた。市民(ヘレネス)、女性(ギネケス)、外国人(バルバロイ)、商工業者(ペリオイコイ)、奴隷(ヘイロータイ)、そして牧牛者集団(ディーポリアスタイ)。神官(ヒエレウス)と牧牛者(ディーポリアスタイ)が神殿の供犠を担当した。タウローニダイ氏がゼウス神への供犠を担当し、エテオブータダイ氏女性がアテネ女神への供犠を担当し、エテオブータダイ氏男性がポセイドン神への供犠を担当した。
人口が多かったためにアテネは自給自足ができなかった。
市民は、平時に政治や宗教行事に参加、戦時には従軍しなければならなかったので、定住の農業に従事していた。非市民は原則として、土地所有権を認められておらず、商工業に従事した。
牛は、農耕と供犠に用いられていた。牧牛は主に、アテネ近郊「フリュア区」「バテー区」、さらにマラトン平野、スクールタ平野、アルゴスの湿地帯でおこなわれていた。食用となったのは主に羊だった。ちなみに馬の産地は、テッサリアとマケドニア。マケドニアには騎兵はいても、重装歩兵がいなかった。重装歩兵を採用した王は、騎兵を輩出した貴族に殺された。だいたい狩猟中に。農民と移牧民は争いを頻繁に起こした。移牧民から農民へ耕牛を売り、農民から移牧民に飼料を売った。
男性奴隷は、ラウレイオン銀山で採掘を担当。女性奴隷は、水汲み、洗濯、機織り、物売り、乳母、助産師を担当。
BC431年、戦争開始に先立ち、ペリクレスは羊と耕牛をエウボイア島や近接の島々に移した。
スクールタ平野は、ボイオティア人とアテネ人が共同で放牧しており、アテネがボイオティア領に侵攻、「パナクトンの城砦」を築いた。パナクトンの城砦付近で、エレウテライ人が放牧しており、動物供犠を通してアテネで兵士や彫刻家として活躍した。
BC422年、ボイオティア人がアテネ人要塞「パナクトンの城砦」を陥落させた。
BC421年、大王の平和(ニキアスの平和)。アテネとスパルタが和平を締結。
BC419年、牛の供犠をめぐってアルゴス人がエピダウロス人に侵攻。ポリス間の争いの裏側に、牧牛がかかわっていた。
BC5世紀、アテネはデロス同盟の盟主としてエーゲ海一帯を支配することで、穀物を安定的に供給できていた。BC4世紀、アテネ帝国が喪失し、戦争と飢饉が頻発。穀物供給が極めて不安定な状況に置かれた。
外国人顕彰
1.従軍・エイスフォラ特権 市民とともに従軍し、エイスフォラ(臨時財産税)を支払う権利。
*在留外国人にも従軍義務があったが、市民とは別の部隊に配属された。
2.エンクテシス 土地所有権。
3.イソテレイア 在留外国人にだけ課せられていた人頭税(メトイキオン)を免除する権利。市民と同等であることを示す称号となった。
*アテネの場合、軍事的貢献がなければ、イソテレイアは付与されなかった。
銀行家(トラペジテス)
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