NHK大河「光る君へ」をみて41
1011年(寛弘8)
*女御の階級
1 天皇の娘 → 中宮
2 摂政関白の娘 → 中宮
3 大臣の娘 → 女御
4 大納言・中納言の娘 → 更衣
5 それ以下
三条天皇が道長を関白にしようとしたが拒絶された。だったら道長の娘は中宮になれず、女御どまり。
三条天皇が、内覧左大臣・道長の娘であった妍子を女御にするついでに、故・済時(当時大納言)の娘であった娍子を女御にしたいと道長に告げた。
妍子に皇子が生まれた場合、皇位継承権は娍子の皇子(敦明親王)が上位に立つことになる。
娍子の外戚は、父・済時が他界しているため、兄・藤原通任(みちとう)だけになる。
三条天皇は、蔵人頭だった通任を解任して、参議に昇進させた。空席になった蔵人頭に、顕信を抜擢したいと道長に告げたら、顕信は時期尚早と道長に断られた。
妍子が藤壺にはいり、彰子が枇杷殿に移った。
1012年(寛弘9)
三条天皇が妍子を中宮にした。
顕信が比叡山・無動寺の慶命僧都のもとで出家。
三条天皇が娍子を皇后にした。「一帝二后」となり、敦明親王が皇位継承権上位に立つことになったため、道長と完全にバトルとなった。
隆家の家人だった平為賢(ためかた)が登場。のちに刀伊の入寇で活躍する。
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