平安京創生館を訪ねて
今日は都合でレセプトが打てるスタッフがいなくなり臨時休診。近鉄特急、JR山陰線に乗り継いでJR円町駅下車。小雨降る中、徒歩10分で嫁と平安京創生館に生まれて初めて行ってきました。「光る君へ」コーナーがちょろっと展示してありました。ここは、朝堂院西北、造酒司(みきのつかさ)があった場所らしい。貴族の皆さんは、飲んでは吐き、酒三昧の日々で糖尿病を患う人が多かったのも頷ける。南に東西の鴻臚館、東西の市、東西の護国寺があった。平安時代の内裏はいまの御所ではなく、もっと西で、船岡山を真北にみていました。894年、遣唐使廃止のころから、飛鳥時代のような軽装を改め、十二単となっていきました。寺社も僧兵を飼うようになりました。鳥羽上皇のころ、内裏の火事が多発して、修理も、内裏まで通うのもめんどくさくなり鳥羽離宮で政治が行われました。
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