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2024年9月20日 (金)

紫式部「日本紀の御局」の後宮三つ巴戦争

1 倫子方女房

 大納言の君、小少将の君、ともに倫子の姪。

 紫式部

2 明子方女房

 宰相の君/敦成親王乳母

 馬中将/明子の姪

3 内裏(一条天皇方)女房

 左衛門の内侍(源明子/源典侍の後継者) 

 *敦康親王・脩子内親王に仕えた、つまり定子・中関白家派。

 

源氏物語中の源典侍(げんのないしのすけ)として源明子が紫式部に攻撃を受け、左衛門の内侍が紫式部を「日本紀の御局」と揶揄して反撃。

紫式部は具平(ともひら)親王の妾だったのだから、具平親王サロンで日本紀を漢文で読んでいてもおかしくない。「紅葉賀」は倭帝・上宮法皇が618年に大宰府倭京で催した観世音寺落成式の事だ。源氏物語の時代設定は、上宮法皇の嫡子であった利歌彌多弗利(わかんどおり)だと源氏物語に明記されてある。推古大王も、蘇我氏に小突かれた聖徳太子も後宮を持たなかったので、上宮法皇ではない。紅葉賀の巻を発表後、源典侍が一条天皇に辞職願を提出した。

道長の平安期、皇族や藤原たちが倭帝の後宮をやんややんやと侮辱していた。倭帝は日輪=阿弥陀如来の生まれ変わりとされ、「菩薩天子」と呼ばれていた。607年、東の菩薩天子すなわち上宮法皇が、西の菩薩天子である隋の煬帝に、ご挨拶申し上げるとへりくだって小野妹子を派遣したつもりだったのが、煬帝が倭帝に対等視されて大激怒したというわけ。ちなみに倭国は入れ墨をしている大和朝廷は入れ墨をしていない「大」で格下だった。俺たちは「大」倭=大和、偉いんだぞという主張が見える。帝は複数の王の上に君臨する。

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