藤原道雅、姸子内親王サロン、禎子内親王サロン
女たらしの悪い奴、藤原道雅。三条天皇の縁故者を食い物にしていった。「御堂関白記」を読んでいると、居貞親王は、道長といっしょに行動している。仲良かったようだ。
正妻 藤原宣孝娘 *宣孝は紫式部の夫
妾 平惟仲娘 *のち姸子内親王サロン女房筆頭を務め、「大和宣旨」と呼ばれた。
1013年 敦明親王の従者を半殺しの目にあわせた。
1016年 斎宮から帰京したばかりの当子内親王を犯した。
1024年 付き合いを断った花山天皇の皇女を隆範に殺害させた。
道長・倫子が三条天皇に入内させた姸子。大和宣旨をはじめ、常套手段のサロンを形成したが、皇女(禎子)が生まれ皇子が生まれなかった。道長激オコ。道長死去前年に姸子早逝。倫子ともどもめっちゃ泣いた。紫式部は7年前に死去。
母親のサロンを禎子内親王が引き継ぎ、白河院政下でのドンに巨大変化した。
摂関政治という呼称をやめて、女房サロン政治に改称すべきだ。美貌だの乳母のお乳だの、幼い天皇や二十歳の藤原といった殿方を虜にしている。皇女・内親王の地位は高く長生きして、長講堂領やら八条院領やら、鳥羽上皇が藤原から奪った不動産をいっぱい抱えていた。承久の乱で、これら不動産が全部、寺社やら北条氏一族独占になってしまう。僧兵は不動産を元手に金融取り立てを生業とした。
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