貨幣からみた世界史
教科書
宇山卓栄 「世界史は99%、経済でつくられる」 育鵬社
山岡直人 「中国貨幣の歴史」 日本銀行金融研究所
鉄銭の鋳造が、BC5世紀にはじまる。
秦・始皇帝が貨幣統一、半両銭を鋳造。
前漢・武帝が半両銭(銅4.5鋳)を廃止し、五銖銭(銅5鋳)を発行。納税は五銖銭のみとしたため、実質、1割の増税。
AD8年、新・王莽が五銖銭を廃止し、大泉五十(銅12鋳)、栔刀(五百銭)、錯刀(五千銭)を発行。五銖銭の流通は認めたため、五銖銭の私鋳が流行。9年、五銖銭、栔刀、錯刀を廃止し、大泉五十(銅12鋳)と小泉直一(一銭)のみ認可した。10年、宝貨制を布き、鉄銭以外、28種の銭を発行したため、大混乱をきたし、赤眉の乱が勃発した。20年、大泉五十と小泉直一を廃止し、五銖銭と同価値一銭の貨銭(銅5鋳)と貨布(25銭)を発行したが、23年に新が滅亡。
宋・劉義隆(文帝)が貨幣不足に対し四鋳銭を発行。「元嘉の治」にて名将三十六計の檀道済が国防、土断法(移民にも平等に課税)を発布。五銖銭での納税を強制し、大富豪が五銖銭を内部留保。文帝は、江南の経済基盤を築いた。
隋・煬帝は江南の経済発展ばかり図り、土地荒廃がひどかった華北は経済発展なく、華北軍閥によって倒された。
唐は市場開催に朝廷の許可が必要で、国家主導の経済で民間経済が硬直停滞した。唐末から宋にかけて、朝廷の統制が緩和すると、民間に形勢戸(なりあがり富豪)が出現し、経済発展、科学技術発展を遂げた。
*中世ヨーロッパが誇れるのは、水車技術の開発。
宋は朝廷が交子(銅との兌換紙幣)を発行し、通貨供給量(マネーサプライ)を増大させた。ハイパーインフレの陥り、遼や西夏や金へ上納金が支払えず、華北を金に奪われた。
ウマイヤ朝がディーワーン制を布き、税務庁、軍務庁、文書庁、監査庁、会計庁をおき、国家の予算制度を厳密化した。ファルス銅貨、ディルハム銀貨、ディナール金貨を法廷貨幣に定め、偽造や私鋳を防ぎ、金銀両本位制が確立した。
ムラービト朝のイドリーシーがコルドバで地中海地図を作成し、ムワッヒド朝のイブン・ルシュドがコルドバでアリストテレス哲学を復興した。これらがイタリアに輸入され、イタリア・ルネサンスとなる。1492年、レコンキスタが終わる。
モンゴルはムスリム商人のマフムード・ヤラワチに経済を担当させ、関税をなくし最終売却地で安価な売却税を課した。徴税は銀納で一本化した。交鈔(銀との兌換紙幣)を発行したが、元末には通貨供給量が増大しハイパーインフレ。
1295~1380年、ヴェネツィア(勝)・ジェノヴァ(敗)戦争。cf.経度問題の解決
ヴェネツィア 神聖ローマ帝国・オスマン帝国と香辛料貿易。
ジェノヴァ フランス・スペインと絹織物貿易。大航海時代にポルトガルに出資。ポルトガルがヴェネツィアから香辛料貿易を奪った。しかしポルトガルの利益が債権を持つジェノヴァに奪われ、1578年、ポルトガルはモロッコ利権をめぐってサアド朝に大敗しデフォルト。1580年、スペインがポルトガルを併合し、ポルトガル負債をスペインが担った。スペインは、利子の高いジェノヴァ商人を見限って、利子の低いアントワープのカルヴァン派商人に借金した。カルヴァン派にカトリックを強制したため、ネーデルランドのアムステルダムに逃げられた。スペインは、イギリスやフランスとの対外戦争に戦費拡大、ロンドンやアムステルダムのロスチャイルド家にスペインとジェノヴァの富が移った。
明は、宝鈔(銀との兌換紙幣)を発行し、当初は発行限度額が守られていたが、経済発展につれ、通貨供給量を増し同じくハイパーインフレ。朝廷が、農業・産業・海外交易を統制経済。明後期には闇市が乱立し、税の収益が減り財政難に陥った。明初期には米作を強制していたのが、官吏と地主が結託し商品作物へ切り替え、民は飢餓で苦しんだ。朝貢貿易の為、赤字交易となり、さらに財政難。スペインによるアカプルコ・マニラ貿易でメキシコ銀が大量に明に流入したため、銀を通貨に定めた。万暦帝の「一条鞭法」にて人頭税(丁銀)と土地税(地銀)を銀納させ、財政難を克服した。王直や徐海といった倭寇が日本銀をさらに明にもたらした。倭寇は南蛮人を日本にもたらした。
1453年、ビザンツ帝国を滅ぼしたオスマン帝国でも、ハンガリーやサファヴィー朝との戦争に軍費を削がれ、マムルーク朝には手が出せなかった。1509年、ディウ沖海戦で、ポルトガルがマムルーク朝を破った。1560年、アチェ王国がオスマン帝国に支援を要請。ポルトガルとオスマン帝国がインド利権を争ったが、1566年、協定を締結しインド貿易を分け合った。オスマン帝国は、地中海交易とインド交易から巨万の富を築いた。
オランダ東インド会社 ローリスク・ローリターン株
イギリス東インド会社 ハイリスク・ハイリターン株
オランダ東インド会社に資金が集まり、アムステルダム金融は、三十年戦争にて新教国を支援。ニューアムステルダム(ニューヨーク)でイギリス毛織物をリテール販売。イギリスのクロムウェルが航海条例を盾に英蘭戦争(1652~1674)を起こし、オランダの利権を奪った。
清が地丁銀制。人頭税を廃止し、土地税を銀納。戸籍登録者が3~4倍に増加。王朝は土地を持たない貧民を免税し、異民族の自治を認め、儲けすぎないまともな連合国家だった。(なんで孫文は満洲人を目の敵にしたんやろ)アヘン貿易がはじまると、銀がイギリスに大量流出し、銀価が2倍に急騰し、納税が滞った。
18世紀後半、中米南米の金を海賊私掠したうえ奴隷貿易で資本蓄積したイギリスで産業革命。19世紀、イギリスはさらにアヘン貿易で巨万の富を得た。農業大国プロイセンは、イギリスから科学技術を盗んだ。プロイセンの国立大学に優秀なユンカー子弟と海外留学生が集まり、哲学と理工学と医学が繁栄。学術雑誌の公用語は英語でなく、ドイツ語だった。
1718年、イギリスはスペインと四か国同盟戦争を起こし、奴隷貿易の収入が途絶え、デフォルト寸前。宝くじの南海会社の株券と国債を強制交換させデフォルトを逃れたが、南海会社の株価がのちに急落し、一般株主が国債を支払う羽目になった。(1688年名誉革命でガラス張り課税議論が必要で、隠れて増税できなかったから)議会がイギリス国債を管理することに改め、国民の理解のもと重税を負担させプライマリーバランスを維持することで国債を低金利に抑え、イギリス国債が投資家の信用を得て、全ヨーロッパ富裕層から投資金を集めた。(日本も日清日露戦争でイギリス資金を頼った)
フランス・ルイ14世も第二次英仏百年戦争全敗で戦費がかさみデフォルト寸前。フランス国債の利子はイギリス国債の倍。(それだけ返済の信用がないということ)1716年、ジョン・ローがルイ15世のリフレ経済政策ブレーンになり、国王の紙幣発行権を王立銀行に与え、王立銀行発行の紙幣をミシシッピ会社に融資して、株価をバブル上昇させ、1720年、バブルがはじけたときにはフランス国債が消えた。つまり一般株主に国債を支払わせたことになる。だが第二次英仏百年戦争が再開になり、王室財政が大赤字。フランス革命で債権者の貴族と債務者の王室をギロチン処刑して借金をチャラにした。
金融資本主義
独占資本(カルテル・トラスト・コンツェルン)と巨大銀行資本の融合
1871年、ビスマルクの強力なリーダーシップのもとドイツ帝国を建て、国家が金融資本主義を打ち立てた。
1865年、南北戦争を終え、北部の産業ブルジョアが金融資本主義を打ち立てた。アメリカはドイツと異なり、自由主義を尊重する立場から、独占禁止法を制定して、独占資本の活動を規制した。
イギリスは、零細事業を経営した産業ブルジョアが様々な利権団体を形成し、議会での発言力が強力で社会が硬直化した。ビスマルクはこういった、決定までのまどろこしさを嫌悪した。19世紀以降、イギリスは、慢性的デフレ・低金利化・出生率低下の三重苦に苦しんだ。低金利の貯蓄や国内投資を避け、高金利の植民地への対外投資へと向かった。植民地から原料を調達し、農業産物に対する加工を主とする軽工業が経済の中心となった。
一方、ドイツは、鉄鋼・電気・化学といった重工業が経済の中心となり、重工業製品が安い労働力に支えられ価格が低く設定され、イギリスやフランスなどヨーロッパ諸国に輸出された。イギリスやフランスの植民地経営はドイツの重工業産業資本に依存することになった。
アメリカは、鉄道建設事業の資金をイギリスから借り入れており債務国だった。第一次世界大戦中、イギリスとフランスがアメリカから巨額の戦費を借入れ、債権国へ転じた。大戦中の1917年、ロシア革命でロシアが戦線離脱すると、ドイツ・オーストリアが勝勢に転じた。イギリス・フランスの対米負債支払いが滞ることを恐れたアメリカは、モンロー主義を破棄し、ドイツへ宣戦布告。戦後1920年代、アメリカは黄金のバブル時代を迎えた。
イギリスは、対外投資を牽制するため、イングランド銀行がFRB以上まで金利を引き上げた。1929年、リバモアとケネディの株の空売りを契機に、外国資本がアメリカから撤退し、アメリカのバブル崩壊で世界恐慌。
バブル崩壊後デフレの処方箋は財政出動と金融緩和なのだが、金本位制にこだわったアメリカはデフレ脱却に失敗。日本も井上準之助が金本位制を敷き同じく失敗。高橋是清が世界初のリフレ政策でデフレを脱却しかけたところで、二・二六事件で殺害された。
ドイツは、政府主導の金融緩和でハイパーインフレを起こして赤字国債を解消し、土地・設備などの資本を買い入れた。1923年、シュトレーゼマン首相がレンテンマルクを新発行し、アメリカのドーズがドル資本をドイツ通貨に注入し、アメリカ資本の傘下にドイツ経済を置いた。ナチス(社会主義者)が国家主導で、大規模公共事業・住宅整備・再軍備により失業率を改善。労働組合や物価を国家監視下に置いて統制した。シャハトは、レンテンマルクをドイツ土地資産と連動させ、レンテンマルクの信用を確保。ダミー会社メフォに秘密裏に莫大な赤字国債を買わせた。1938年、メフォ手形の償還期限が迫りハイパーインフレの危機を乗り越えるため、ナチスは対外侵略を敢行。
日本は孫文を育て、「滅満興漢」辛亥革命に参加。孫文はブルジョア民族資本の基盤を持たず、共産主義者が多い農民に支持を求めた。李鴻章と(日清戦争敗北に驚いて近代化した)清朝政府を裏切った袁世凱に脅され蹂躙されてしまったのが、そもそものつまづき。1925年、孫文の死後、蒋介石がブルジョアの支持を受けて共産党を弾圧。1928年、イギリス・アメリカから自主関税権を獲得。1929年、世界恐慌で銀価格が下落し、世界で唯一の銀本位制のおかげでインフレが維持され(他国はデフレで苦しんだ)上海に世界の資金が流入。1935年、通貨改革(廃両改元)で新紙幣元を発行。イギリスはポンドと元、アメリカはドルと元を連動させ銀を買い取り、蒋介石は銀使用を罰した。元流通を認めるなら満洲国建国を容認するというイギリスと中国の要求を日本は却下、円を通貨立て。小国だった台湾と朝鮮はある程度うまくいったが、大国中国はこれでは信用を得られず。元、ポンド、ドルが流通。1941年、日本は偽札の元をばらまき、民心が蒋介石を離れた。同じく共産党の毛沢東は、長征で地主農民を大虐殺して土地を強盗、小作農民に分け与えて農民の支持を得た。蒋介石はナチスから武器購入、毛沢東はアメリカ共産主義者(GHQ)から武器購入、戦後、日本の満洲資本を無償で奪取した。
第二次世界大戦後、アメリカにユダヤ資本が流入、さらにドイツが居ない間にスイス銀行の故ユダヤ人貯金を吸い上げた。優秀なユダヤ人学者が原子爆弾を開発、日本で実験成功。GHQにより大蔵省屋上から銃を向け日本国憲法を、国際法違反&帝国憲法違反で強制、GHQにより円紙幣を増刷・横領・着服しハイパーインフレをもたらし、GHQによりソ連にも原子爆弾開発機密が漏洩。1947年、トルーマンドクトリンでギリシャとトルコをドル支配したが、つづくマーシャルプランでアメリカはヨーロッパ制覇を企むも、東欧はすでにルーブルが支配しており、ドル介入ならず。ケインズ派カイザーリングの軍拡戦略方針「NSC-68」を採用。世界の警察として軍拡。ソ連もレーガン政権の軍拡に呼応して民間経済が破綻して自滅。アメリカの貿易赤字は日本をバッシングしてもおさまらず、ベトナム戦争や湾岸戦争でも朝鮮戦争のような景気回復はなく、軍需産業機密兵器パソコンを市場に公開して景気が好転した。現在は、軍事技術が民間技術を牽引するのと反対に、軍事技術は民間技術に依存している。ロシアは2000年デフォルトを経て石油会社国有化、東欧を石油パイプラインで脅しながら経済回復。ウクライナ・ロシア戦争はドローン戦(機械の特攻隊)になった。日本は黒田日銀総裁をたてアベノミクスでデフレ脱却しかけるも安倍晋三政権の二度の消費税増税で景気回復成らず。日本が資金と鉄材廃品と最新電子機器を貢ぎ、軍拡を支えた中国は呆れんばかりの箱もの不良債権でバブル崩壊して、目下、政情不安定。少子化は食糧が足りて減税し景気回復すれば簡単に解決するのだが、小児科も歴史的モニュメントになりつつある。
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