世界史学習雑感7
マイブームは遊牧民の歴史。中国かペルシャと関わっている国の歴史は残っているが、奥深く存在していた遊牧民の歴史はわからないことだらけ。それでも少しずつ研究が進んでおり、全貌がつかめてきたようだ。
5世紀 柔然(モンゴル系) vs 北魏(モンゴル系)
エフタル(イラン系) vs ササン朝ペルシア(イラン系)
*対立2国間でサマルカンドのソグド人が交易にいそしんだ。
*突厥(トルコ系)は、ソグド人ネットワークに委託。
*ウィグル(トルコ系)は、ソグド人ネットワークを乗っ取った。
三国志時代、南北朝時代初期は、東は匈奴、羯、公孫氏らが群雄割拠、西は匈奴、羌、氐らが群雄割拠、やがて東西に鮮卑がなだれ込んでくる。鮮卑がいなくなったモンゴル高原を柔然が支配し、そこからエフタルが分離独立する。エフタルから突厥(トルコ系)が分離独立し、ササン朝ペルシアとエフタルを挟撃し、エフタル公国を内包する。突厥が漢族の策略で東西分裂。鉄勒が力を増すと、ウィグル(トルコ系)となり、西突厥をさらに西へ追いやり、ハザール王国に進化する。六鎮に匈奴の集落が発見されており、匈奴はしぶとく生き続けていた。
五代十国は、沙汰族(トルコ系)の天下。
鮮卑(モンゴル系)&羌(チベット系) 青海地方をめぐる戦い
鮮卑 拓跋氏
代⇒北魏⇒東魏・西魏
鮮卑 慕容氏
慕容廆(ぼようかい) 北燕
慕容吐谷渾(ぼようとよくこん) 吐谷渾(226~663)⇒青海王国(666~798)*唐の属国となる。
慕容垂(ぼようすい) 後燕
慕容泓(ぼようおう) 西燕
慕容徳(ぼようとく) 南燕
鮮卑 宇文部
宇文逸豆帰(うぶんいっとうき) 奚(4世紀~10世紀)
宇文泰 西魏の将軍⇒宇文覚 北周
*慕容部と宇文部はとくに仲が悪く、吐谷渾と西魏・北周は幾度となく戦った。
鮮卑 乞伏部
西秦
鮮卑 禿髪部
南涼
羌
後秦 *姚萇が前秦・符堅を裏切り建国。
宕昌 *梁勤が建国。
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