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2024年5月 6日 (月)

NHK大河「光る君へ」をみて18

995年

道兼、七日関白で天然痘のため死去。

詮子、大殿に苦労した円融を持ち出して、涙の訴えで、一条天皇が伊周関白を退け、道長内覧とする。天皇は関白をすすめたが、道長は顕光を嫌って内覧になった。

東一条殿 花山法皇

土御門殿 道長・倫子・懐妊彰子

法成寺(御堂) 晩年の道長

粟田殿 道兼

東三条殿 詮子

高松殿(東三条殿の隣) 源高明→源俊賢→懐妊明子→源顕季

小二条殿 伊周・懐妊定子→のちに源俊賢

山吹殿 源俊賢

堀河殿(堀河院) 基経→兼通→円融上皇→顕光・懐妊元子→頼通・師実→白河天皇→堀河天皇

*初期の白河天皇は、関白・大殿・師実に頭が上がらず、摂関政治体制だったが、1085年に皇太弟(実仁親王)が死んだので、1086年に(後三条天皇に遺言に逆らい)実子の善仁親王を立太子させ即日堀河天皇に即位させ、自ら譲位して院政を敷いた。1099年に師実が延暦寺強訴弾圧の呪詛により病死。実子の忠実がまだ若かったために堀河天皇の摂政とはせず世襲だった関白任命権を藤原摂関家大殿から取り上げ、治天の君として院政権力地盤を固めた。1107年、白河法皇の干渉を嫌っていた成帝・堀河天皇が死ぬと、孫の宗仁親王を幼帝・鳥羽天皇に即位させ、1113年に永久の変で輔仁親王(実仁親王即位時の皇太弟予定者)が失脚すると、王家も摂関家も文句が言えない独裁となった。

法勝寺(白河院) 白河法皇

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