NHK大河「光る君へ」をみて19
995年
宋人が越前に来日。宋の皇帝は太宗。
後周 柴栄(世宗)が全国統一半ばで死去。
北宋
柴栄禅譲で趙匡胤(太祖)が960年、北宋を建国。荊南・湖南・後蜀・南漢・南唐を滅ぼす。
弟の超匡義が976年、太祖死後、帝位強奪し2代太宗となる。呉越・北漢を滅ぼす。979年、全国統一を完成。
3代真宗(997~1022)。999年から契丹(遼)の侵略が始まる。1004年、遼と澶淵の盟を結ぶ。
尊敬してやまない定子に会ってもらいたくて清少納言に導かれた紫式部が小二条殿に参内。たまたま一条天皇が定子と情事をしに小二条殿にお渡り。事後、紫式部が一条天皇と定子に、「身分に関わりなく科挙合格者を参議として陣の定めに加える日が来るという夢があります。」と申し述べる。そこへ伊周が帰宅して、紫式部のような下賤の者をお近づけにならぬよう一条天皇に忠告申し上げる。
その噂を聞きつけた道長が、国司として登用すべく為時を従五位下に昇格させた。
行成が書のうまさを餌にスパイ役を申し付けられ女御の噂話を道長に伝達する。
源俊賢(道長妻・明子の異母弟)が992年に蔵人頭に昇進。伊周と道長の口論を実資に報告。有能な天皇側近として実資にも信頼されていた。995年に参議に昇進。当時の朝廷は、源俊賢抜きでは機能しなかった。
藤原為光の一の君 藤原義懐の妻
二の君(忯子しし) 花山天皇が最も寵愛した女御
三の君(光子みつこ) 藤原伊周の愛人
四の君(儼子たけこ) 花山法皇の愛人、法皇死後に藤原道長の愛人
五の君(穠子じょうこ) 藤原道長の愛人
藤原為光の長男(誠信さねのぶ) 愚者ゆえ出世を弟に越され、嫉妬のあまり憤死
次男(斉信ただのぶ) 道長と親友
斉信が右大臣道長に「俺は参議にならなくてもいい。のんびりするわ。」愚かで出世が遅れている兄・誠信を気遣っての発言と思われる。
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