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2024年5月26日 (日)

NHK大河「光る君へ」をみて21

996年

伊周、大宰府へ左遷。母親の高階貴子が死去。詮子は貴子を嫌っていた。道長、正二位左大臣に昇進。

懐妊の定子(12月出産予定)、二条殿で焼身自殺図るも助けられ、清少納言が定子を慰めるため、枕草子執筆を開始。

一条天皇17歳に皇子が生まれなければ、皇太子・居貞親王21歳(のちの三条天皇)、居貞親王の男児・敦明親王3歳へと皇位継承が遠ざかっていく。

道長にとって一条天皇の皇子は必要なのだが、定子が皇子を出産してしまうと、三条天皇の皇太子に立太子してしまい、伊周が復権してしまう。そこで対抗馬となる女御を入内させる必要があった。

1 右大臣・顕光の娘 元子18歳

2 大納言・公季の娘 義子23歳

3 故・道兼の娘 尊子13歳 ←母親は繁子(一条天皇の乳母!!)

*内覧/左大臣・道長の娘 彰子は9歳と若すぎ。数年、時間を稼ぎたいところだ。

道長にとっては、一条天皇が早逝しても問題ない。彰子を三条天皇に嫁がせればいい。定子の子ども(敦康親王)ではミウチになれなくなる。元子や義子を一条天皇に嫁がせれば、顕光も公季も敦康親王の立太子に反対するだろうという予測のもと、道長は二人の入内を承諾した。

詮子にとっては、一条天皇が生きていてもらう必要があり、定子の子ども(敦康親王)でも構わない。三条天皇治世下になってしまったら権力を喪失するので。

一条天皇が定子の産んだ敦康親王を立太子させたければ、居貞親王に譲位すればよかった。道長の権力が強すぎてそれができなかった。

*源倫子 道長の正妻として90歳まで生きた。従一位まで出世した。一条天皇の死後、国母を退いても影の実力者ぶりを発揮していた。

筑前以外に京に近い越前開港を求める宋人、商人かどうかの身元調査と、追い払いという密命を受けた為時。越前国府への道中、松原客館(渤海使節を受け入れる役所)に立ち寄る。

*位袍(いほう)=服の色

天皇 黄櫨染(こうろぜん) ←一条天皇が着ていた服色

東宮 黄丹(おうに) ←居貞親王(のちの三条天皇)が着ていた服色

親王・臣下1位から4位まで  ←公卿らが着ていた服色

臣下5位 深緋(こきあけ) ←為時が来ていた服色

臣下6位以下 深縹(こきはなだ)

無位 

 

道長正室の倫子(宇多源氏)と、道長側室の明子(醍醐源氏)の権力闘争が摂関政治の花を飾った。969年、安和の変での源高明の恨みは忘れまいぞ。

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