京都国立博物館「雪舟伝説」をみて
今朝から近鉄特急で嫁と京都へ行ってきました。館内はかなり空いていました。
雪舟
1420年 備中(岡山県総社市)生まれ
備中の宝福寺から京の相国寺へ。
1467~1477年 応仁の乱 京が荒廃。
1467年 遣明船で朝貢使節団メンバーとして寧波入港。天童山景徳禅寺に留学。
1468年 北京の大興隆寺に留学。
1469年 日本に帰国。晩年は山口に暮らし大内氏と親交。
1506年 死去。
国宝 秋冬山水図
国宝 破墨山水図
国宝 山水図
国宝 四季山水図巻(山水長巻) 毛利家の宝物となっていた。
国宝 天橋立図 砂嘴が途切れていた
国宝 慧可断臂図
大明帝国
明への初期留学は、洪武帝の日本人拉致や粛清など命がけだった。そのあともオイラート侵略やタタール侵略や帝位争いなどあったが、それも落ち着いた平和な時期に雪舟は留学できたようだ。
正統帝(英宗) 1435~1449 土木の変でオイラートのエセン汗に拉致された。
景泰帝(代宗) 1449~1457
天順帝(英宗) 1457~1464 奪門の変で重祚した。
1523年 寧波の乱
大内義興with博多商人 vs 細川高国with堺商人
雪舟の絵題や画法は多くの画家の手本となった。とくに、長谷川等伯「雪舟五代」と雲谷等顔「雪舟三世孫」は雪舟の弟子を自負していた。
観ることができない西湖や金山寺の代わりに富士山を絵題として頻用されるようになった。
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