NHK大河「光る君へ」をみて6
985年 公任までもが義懐に接近
義懐と道隆の綱引きがはじまった。詮子が兼家を嫌って別行動で左大臣・源雅信を味方に引き入れ、道長と倫子を結び付けようと画策する。兼家も義懐の動きに対抗すべく左大臣・源雅信を味方に増やしておくために道長と倫子を結び付けようとする。史実は懐仁親王(一条天皇)擁立を目指す詮子と兼家は一心同体だったのだが。道長の密告を受けた道隆が兼家より頭脳戦で義懐親衛隊の一角を崩す目的で、漢詩の会を催す。主催は藤原為時with紫式部と清原元輔with清少納言。道長が紫式部にストレートな漢詩ラブレターをご披露。ハートドキドキの道長と紫式部だったが、無神経な清少納言がばっさりと切り捨てる。兼家の密命を受けた安倍晴明の呪詛で忯子が懐妊中に死ぬ。嘆く花山天皇。泥棒中の飛び猿に右兵衛権佐・道長の矢が刺さる。二人は紫式部の恋敵だ。上から下までバトルのゴングが鳴った。
女房とは、顔丸出しで、尊い女性とムラムラ男のあいだを取り持つ仕事。海千山千のバツ〇熟女しか務まらないだろうし、女房にウケるのは官能物語、官能和歌なのも納得できる。2次試験で難解古文一問やらされた感が強いおっさんの感想。
日本史オンライン講座の松本先生の解説。
飛び猿は、藤原保輔(袴垂保輔)。実在した正五位の貴族盗賊。兄がやりマン和泉式部の夫であった正四位摂津国守・藤原保昌(958-1036)。妹が正四位の源満仲(912-997)の正妻。源満仲は大和源氏(源頼親)と河内源氏(源頼信)の父親で源氏の祖、主君が藤原兼家!源満仲は、969年、安和の変で、源高明を裏切って守平親王(のちの円融)廃太子の企みを密告して一気に出世を果たした。
985年9月28日、藤原保輔が伊勢斎王の済子内親王の野宮で侍女の衣服を窃盗。
紫式部の本名が、藤原香子(かおるこ)。
清少納言の本名が、清原諾子(なぎこ)。
婿取りから嫁入りに変わったのは、元寇がきっかけ。
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