伊賀上野城、伊賀流忍者博物館、芭蕉翁記念館を訪ねて
朝から名阪国道を走って、嫁と伊賀上野へ行ってきました。学園前から1時間20分程度で市営駐車場到着。忍者が大好きなはずの外人観光客もゼロで、以前から行きたかった伊賀上野城天守閣も涼しい風に吹かれて独占状態で満喫できました。
まず、伊賀上野城。筒井順慶の養子だった筒井定次が1585年に築城。関ヶ原の戦いでは東軍に付いたが、キリシタンの嫌疑で1608年改易。1615年、大坂夏の陣で豊臣方に内通したため切腹。1608年、藤堂高虎が今治城を完成したばかりの伊予から伊勢・伊賀に移封。石垣工の穴太衆を駆使して伊賀上野城を改築しました。大坂夏の陣で藤堂高虎が食べた米のお櫃が展示。天守閣には1935年(昭和10年)天守閣完成イベントがあったようで、尾崎行雄や近衛文麿や宇垣一成や岡田啓介の直筆サインが天守閣天井に飾ってありました。
次に伊賀流忍者博物館へ、12時30分の説明会に参加。クノイチ忍者がからくり屋敷を解説していただき、客も5名でしたので、どんでん返しや見張りの場を全員体験できました。この屋敷は、伊賀市山奥から市役所まで移転させたものらしいです。お土産にゴム製やプラスチック製の手裏剣を3個買いました。
賀の道
加賀、伊賀、甲賀、雑賀など賀の付く場所を結ぶと忍者の歩んだ道がわかる。
最後は、芭蕉翁記念館特別展「手紙のひと芭蕉」を観ました。松尾芭蕉はここ伊賀の出身だそうで、生家も近くになります。芭蕉の真筆に感激しました。
風雅三等の文
一等 点取俳諧で褒美を得ることに奮闘する民衆
二等 点取はするが娯楽として楽しむ富貴の人々
三等 点取は無用とし、古人の精神に寄り添う者
三等の人々が俳諧を行う上であるべき姿であると松尾芭蕉は説きました。
「藤原定家の神髄を探し、西行への道筋をたどり、漢詩人の白楽天の考えていることを知り、杜甫の精神につながりなさい。」
1644年 伊賀に生まれる。
1662年 藤堂良忠(俳号は蝉吟)に仕え、俳号を宗房と名乗る。
1672年 江戸に上京する。
1675年 西山宗因の句会に参加し、俳号を桃青と名乗る。
1680年 深川の庵に転居する。
1681年 俳号を芭蕉と名乗る。
1684年 「野ざらし紀行」に旅立つ。
1687年 「笈の小文」に旅立つ。
1688年 「更科紀行」に旅立つ。
1689年 「奥の細道」に旅立つ。
1691年 「猿蓑」を刊行。
1692年 曲翠に「風雅三等の文」を贈る。
1694年 大坂で死去。
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