潯陽(江西省)生まれ。春秋戦国時代は、楚に属していたが、洞庭湖の東に位置する、まだまだ未開のヤバい地であった。呉越の江南しか南朝は文明がなかったと言っても過言ではない。江南は東晋がしっかりとおさえていた。彼は悠々自適の生活を送り、「五柳先生」と自称した。彼は南朝(東晋)に住んでいたが、彼の思春期時代の北朝は大混乱。382年、淝水の戦い。氐族出身の人格者、北朝(前秦)の符堅(ふけん)が色気を出して南北朝統一に失敗。鮮卑族出身、後燕の慕容垂(ぼようすい)が符堅を救命。北朝は、てんでばらばら。特に後秦の姚萇(ようちょう)という奴が姜族でヤバかった。陶潜が県令を務めた彭沢(ほうたく)は、後秦と国境線を接する東晋の防衛重要拠点だった。396年、慕容垂は、のちに北朝統一する北魏の拓跋珪(たくばつけい)に参合陂の戦いで敗死、軍は南に逃走。弟の慕容徳が南燕を建国して、後秦・東晋と国境を接した。
帰去来兮 帰りなん、いざ
田園将蕪胡不帰 田園、まさに蕪(あ)えんとす。胡(なん)ぞ帰らざる
既自以心為形役 既に自ら心をもって形の役と為す
奚惆悵而独悲 奚(なん)ぞ惆悵(ちゅうちょう)として 独り悲しまん
悟已往之不誡 已往(いおう)の誡められざるを悟り
知来者之可追 来者の追うべきを知る
実迷塗其未遠 実に塗(みち)に迷うこと 其れ未だ遠からず
覚今是而昨非 今の是にして昨の非なりしを覚(さと)る
舟揺揺以軽颺 舟は揺揺として以て軽く颺(あが)り
風飄飄而吹衣 風は飄飄(ひょうひょう)として衣を吹く
問征夫以前路 征夫に問うに前路を以て
恨晨光之熹微 晨光(しんこう)の熹微(きび)なるを恨む
乃瞻衡宇 乃(すなわ)ち衡宇(こうう)を瞻(み)て
戴欣戴奔 戴(すなわ)ち欣び、戴(すなわ)ち奔(はし)る
僮僕歓迎 僮僕(どうぼく)、歓(よろこ)び迎え
稚子候門 稚子(ちし)、門に候(ま)つ
三径就荒 三径、荒に就けども
松菊猶存 松菊、猶(な)お存す
攜幼入室 幼を攜(たずさ)えて室に入れば
有酒盈樽 酒有り、樽に盈(み)てり
引壺觴以自酌 壺觴(こしょう)を引きて以て自ら酌み
眄庭柯以怡顔 庭柯(ていか)を眄(かえり)みて以て顔を怡(よろこ)ばす
倚南牕以寄傲 南牕(なんそう)に倚(よ)りて以て傲(ごう)を寄せ
審容膝之易安 膝を容(い)るるの安んじ易きを審(つまびら)かにす
園日渉以成趣 園は日に渉(わた)りて以て趣きを成し
門雖設而常関 門は設くと雖(いえど)も常に関(とざ)せり
策扶老以流憩 策(つえ)もて老いを扶(たす)けて以て流憩し
時矯首而游観 時に首(こうべ)を矯(あ)げて游観(ゆうかん)す
雲無心以出岫 雲は無心にして以て岫(しゅう)を出で
鳥倦飛而知還 鳥は飛ぶに倦(う)みて還るを知る
景翳翳以将入 景(かげ)は翳翳(えいえい)として以て将に入らんとし
撫孤松而盤桓 孤松を撫して盤桓(ばんかん)す
帰去来兮 帰りなん、いざ
請息交以絶游 請う、交わりを息(や)めて以て游を絶たん
世与我而相遺 世と我と相遺(あいわす)る
復駕言兮焉求 復た駕して言(ここ)に焉(なに)をか求めん
悦親戚之情話 親戚の情話を悦び
楽琴書以消憂 琴書を楽しみて以て憂いを消す
農人告余以春及 農人、余に告るに春の及べるを以てす
将有事于西疇 将に西疇(せいちゅう)に事有らんとす
或命巾車 或いは巾車(きんしゃ)を命じ
或棹孤舟 或いは孤舟(こしゅう)に棹さす
既窈窕以尋壑 既に窈窕(ようちょう)として以て壑(たに)を尋ね
亦崎嶇而経丘 亦た崎嶇(きく)として丘を経る
木欣欣以向栄 木は欣欣(きんきん)として以て栄に向かい
泉涓涓而始流 泉は涓涓(けんけん)として始めて流る
善万物之得時 万物の時を得たるを善(よみ)し
感吾生之行休 吾が生の行行(ゆくゆく)休するを感ず
已矣乎 已んぬる矣乎(かな)
寓形宇内復幾時 形を宇内(うだい)に寓すること 復た幾時ぞ
曷不委心任去留 曷(なん)ぞ心を委ねて去留に任ぜざる
胡爲乎遑遑欲何之 胡爲(なんす)れぞ遑遑(こうこう)として何(いず)くに之(ゆ)かんと欲する
富貴非吾願 富貴は吾が願いに非ず
帝郷不可期 帝郷は期すべからず
懐良辰以孤往 良辰(りょうしん)を懐(おも)いて以て孤往し
或植杖而耘耔 或いは杖を植(た)てて耘耔(うんし)す
登東皐以舒嘯 東皐(とうこう)に登りて以て舒嘯(じょしょう)し
臨清流而賦詩 清流に臨みて詩を賦す
聊乗化以帰尽 聊(いささ)か化に乗じて以て尽くるに帰せん
楽夫天命復奚疑 夫(か)の天命を楽しみて復た奚(なに)をか疑わん
「現代語訳」
さあ、帰ろうよ
私の故郷の田園は荒れ果てようとしている。どうして帰らないのか、いや帰ろう。
今まで自分自身の尊い精神を卑しい肉体の奴隷としてきたのだ。
しかしどうして憂い嘆いて、自分ひとりで悲しむことがあろうか。
過ぎ去ってしまった人生は、もう後悔しても仕方がないと悟って
これから将来の人生を追いかけてゆくことができることがわかった。
ほんとうに私が人生の進路を迷っていたことも、まだそれほど長くはなかったのだ。
今が正しい生き方なので、昨日までは間違っていたのだということを悟った。
故郷に向かう舟は、ゆらゆらと揺れ動いて軽やかに舳先があがるように進み、
風ははたはたと着物の裾に吹きかかる。
道を行く旅人に、故郷への道のりを尋ねると、まだまだ遠くて、
夜明けの光はまだ薄暗く、旅がはかどらないのを恨めしく思う。
やっとのことで、わが家の門と屋根を見て、
喜びながら走っていった。
召使たちも喜んで迎えに出てきて
子供たちは門の所で待っている。
家の庭の、門・裏口・井戸に通じる三本の小道は荒れかけているが、
松や菊はまだ残っていた。
子供の手を引いて部屋に入ると
酒が樽にたっぷりはいっている。
徳利と盃を引き寄せて自分で酒をくみ
庭の木を横目で見ては顔をほころばせる。
南側の窓辺に寄り添って、思うがままにくつろぎ、
膝が入るくらいの狭い部屋でも、くつろぐことができるのだと、よくわかった。
さて庭園は日ごとに趣のある景色になってゆく。
門は作ってはあるけれども、いつも閉じたままで、
杖をついて年老いた体を助けては、あてもなくぶらぶらと歩きまわっては休む。
時々上を向いては、あたりをゆったりと眺めて楽しむ。
見ると、雲は無心に山の洞穴から出ては流れてゆき、
鳥は飛ぶことに飽きて寝ぐらに帰ってゆくことを知っている。
夕陽の光がかげってきて、西の空に沈んでゆこうとしている。
私は、庭の一本松を撫でながらぶらぶらと歩きまわっている。
さあ、帰ってきた以上は、
どうか世間との交際をやめ、交遊を絶ちたいものだ。
そして、世の中と私とは、お互いに忘れてしまおう。
もう一度役人になっても、そこに何を求めることがあろうか。
親類の人たちと、心のこもった話をしては喜び、
音楽と読書で、私の心の憂いを消すのだ。
そこへ農夫がやってきて、私に春の訪れを告げてくれた。
いよいよ西のほうの畑で耕作が始まるのだ。
そこで、ある時は飾りのついた車を命じ、
またある時は、一艘の小舟に掉さす。
そして小舟を漕いで、奥深い谷川に尋ね入り、
また飾り車に乗って、険しい丘を進んでゆく。
道すがらの木は、生き生きと伸び始め、
泉はこんこんと流れ始める。
すべてのものが時節を得ているのを見ては喜び、
一方で、自分の生命がまもなく消えてゆくことを感じる。
ああ、どうにもならないことなのだ。
肉体がこの世に仮に宿っているのも、どれくらいの長さなのか。
どうして心の願いのままに、生死を運命に任せておかないのか。
どうして今更あわてふためいて、どこに行こうというのか。
金持ちも高い位も私の願うところではない。
不老不死の仙人の世界も当てにすることもできない。
私は、春の良き日和を懐かしんでは、ひとりで山野を歩き、
また杖を立てて畑を除草する。
あるいは、東のほうの丘に登って、のんびりと歌を口ずさみ、
清らかな川の流れを目の前にして、詩を作る。
こうして、天命のままに任せて、死ぬのなら死んでゆこう。
この天から受けた運命を楽しんで世を送り、何の心配をすることもないではないか。
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