京都府立山城郷土資料館「恭仁宮と神雄寺」をみて
車で20分、ふるさとミュージアム山城に行ってきました。
第一部 恭仁宮 右大臣・橘諸兄が政権を掌握。
740年(天平12)12月15日 恭仁宮遷都の勅命
平城宮第一次大極殿を移築して、恭仁宮大極殿にした。
741年(天平13)3月24日 国分寺・国分尼寺建立の勅命
742年(天平14)8月 紫香楽へ行幸を繰り返し、離宮とする。
743年(天平15)5月27日 墾田永年私財法を発布
743年(天平15)12月26日 紫香楽宮造営の勅命、恭仁宮造営を停止。
744年(天平16)2月26日 難波宮遷都の勅命
746年(天平18)恭仁宮大極殿を山城国分寺に施入。
瓦の刻印に、則天文字が散見!唐(周)との交流がうかがえる。
平城京の外港として、上津遺跡が繁栄していた。のち山背国府の時代には、泉津が外港として繁栄した。
山城は、渡来人の巣窟であり、白鳳時代に大寺院が建立された。
高麗寺 狛氏
蟹満寺
久世廃寺
海住山寺
第二部 神雄寺
恭仁京建立に際し、新たに神雄寺を建立。唐三彩を真似て、日本固有の彩釉陶器を作成した。
神雄寺で何をしていたかというと、ひたすら祈っていた! 灯心の焦げ目は一カ所しかないので、使い捨ての容器に灯籠を灯して拝んだ。「燃燈供養」と呼ばれている。
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