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2023年3月19日 (日)

魏晋南北朝時代

中華統一するには中原を制すべしとよく言われるが、国家樹立後の平和を図るにはチベットも抑えておかねばならない。砂漠で生きるには水が必須であり、湖は抗争の的になる。

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それが青海湖。羌が住む。

匈奴 トルコ族 前漢の放牧、後漢の半農半牧

羯 トルコ族

烏桓 モンゴル族 匈奴冒頓単于が滅ぼした東胡の末裔

鮮卑 モンゴル族 匈奴冒頓単于が滅ぼした東胡の末裔

羌 チベット族 前漢も後漢も半農半牧

氐 チベット族 前漢も後漢も農耕

魏 曹氏から司馬氏が帝位簒奪。漢より禅譲を受けた正統国家。

呉 孫権後継問題(二宮の変)で国威衰退。南方の土人(山越)を遠征して兵を集めて、諸葛恪、のち陸抗が頑張ったが衰退の一途。

 252年 東興の戦い 

 253年 合肥新城の戦い

蜀 劉禅が愚鈍。諸葛亮が南方の土人(南越)を遠征して兵を集め、その死後も姜維が頑張ったが魏に降伏。諸葛亮の八陣戦法を陳勰(ちんきょう)が盗み学んだ。

 

司馬氏が弱体化した呉を滅ぼせず、なかなか中華統一できなかった理由が、270年、鮮卑禿髪部の樹機能の乱。八陣戦法を伝授された晋の馬隆が平定。青海湖付近に逃亡し、晋、北涼、前秦に雌伏。280年、晋が呉を滅ぼす。383年、淝水の戦いで前秦が崩壊。397年、鮮卑禿髪部の烏孤が、周囲の鮮卑や羌を従属させ南涼を建国。のち北魏の太武帝から同胞だと褒めたたえられ、「源」の苗字を授かる。これを平安時代の天皇が真似て、臣籍降下した旧皇族に源氏の姓を与えた。

290~306年 八王の乱

司馬炎の母が楊氏、妻が賈氏。司馬炎が死んで司馬恵が即位すると、賈后(かごう)が楊駿を殺害。司馬氏の3人の王が巻き添えを食らって刑死。

司馬倫が賈后を殺して司馬恵を廃して即位。司馬冏(けい)がこれを不服とし、司馬乂(がい)・司馬頴(えい)・司馬顒(ぎょう)に命じて司馬倫を殺し、司馬恵を復位させる。

司馬冏の専横を不服とし、司馬乂が司馬冏を殺害。司馬乂の専横を不服とし、司馬頴が司馬乂を殺害。司馬頴の専横を不服として、司馬越が恵帝をかついで、司馬頴を殺害。さらに司馬顒と恵帝を殺害。帝の有力候補だった司馬覃(たん)をも殺害。これで司馬氏ほぼ全滅。

296~299年 氐の斉万年の乱

301年 漢の張軌、前涼を建国。漢族から成り、晋(西晋)と親しい。

303年 張昌・石冰(ひょう)の乱 流民を護送した氐の李特が晋軍に討たれる。

304年 李特の子・李雄、成漢(後蜀)を建国。漢族から成り、晋と親しい。

304年、永嘉の乱。晋の司馬昭、司馬炎、司馬穎に匿われていた劉淵が南匈奴をまとめ上げ、漢(のちの前趙)を建国。316年、晋は滅び、司馬睿が江南に逃亡して東晋を建国。東晋は建康に北府、荊州に西府を設置して北朝に対抗。329年、劉淵の重臣だった、羯の石勒が劉曜を殺して前趙を滅ぼして、後趙を建国。

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