中洲鳥善で水炊き
午前診を終え、京都駅から博多へ新幹線。中洲の那珂川を眺めながら、華味鳥(はなみどり)の水炊きと、地酒「田中六五」「庭のうぐいす」「繁枡」をいただきました。
倭帝は兄弟統治をしていました。上宮法皇の条里制羅城・大宰府の後宮で繰り広げられた恋愛模様を描いた作品を源氏物語(わかんどほり物語)と呼びます。
倭帝祖父 上宮法皇(日出処天子・阿毎多利思北狐・桐壺帝)
朱雀帝が政治を担当。上宮法皇は先帝に倣い皇帝菩薩となる。
菅原道真をご遺体をひく牛が上宮法皇の墓で立ち止まりました。
倭帝父 わかんどほり(光源氏)
倭帝兄 中皇命(なかつすめらみこと・那珂大兄・夕霧)
那珂川に縁の深い倭帝でした。ご自慢の武器が、中弭(那珂弭)の強弓。大和朝廷・中大兄の裏切りで白村江の戦いで戦死しました。
唐と密約した中大兄は唐の進駐軍とともに百済遺民と倭国を征服し、倭国の別名であった日本国(皇帝菩薩・阿弥陀如来の日輪のもとに築かれ輝く国)を宣言し、大宰府倭京の破壊を黙認し、天智天皇に即位しました。のち壬申の乱で唐から羈縻政策のため帰還した薩夜麻(大海人皇子)に敗れ、玄界灘にて入水自殺、瀬戸内の島に打ちあがった亡骸は物部氏の故郷・遠賀川の筑豊に葬られました。
皇太弟 薩夜麻(さちやま・大海人皇子・天武天皇・薫)
那珂大兄の弟。唐・新羅に対抗すべく、大和朝廷との合体を重んじ、中大兄とご自分の娘を交換、奈良の飛鳥板蓋宮にて再出発。
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