中世ヨーロッパ都市
金は希少価値であり、高額商品の交易には適するが、安価な日用品の交易には適さない。銀が日用品の交易に適する。
*北欧都市 コミューン
遠隔地交易の拠点が、沿海部や河川沿いに築かれ、ポルトゥスと呼ばれていた。
カロリング朝カール大帝のとき、金本位制をやめ銀本位制に改め、内陸部での交易がより活発化した。ローマ帝国に支配されていた植民都市キヴィタスの領主がローマ皇帝からキリスト教会に替わり、その隣接地にブルグスと呼ばれた衛星都市が築かれた。ヴァイキングやマジャール人の襲来で損害を受け、司教や修道院はキヴィタスの防壁を強化し、商工業者はブルグスの防壁を強化した。都市市民(ブルゲンセス)は、自由な商業・手工業者、不自由な教会庇護民・家人(領主役人層)、農村から逃亡した農奴から成っていた。
都市の自由をあらわしたのが、
「荘園から逃れた農奴が荘園領主から捕まらず1年と1日、都市に留まることができれば、なんびとも自由を獲得する。」
10世紀より国王権力が衰退すると、都市の犯罪と暴力が増加。司教や伯が率先して、少数の有力土地所有者の中から行政誓約人(ジュレ)と参審人(エシュヴァン)を選出して、自治に努めた。こういった一連のコミューン運動は、国王領内では禁止され、伯や教会領内では軍役義務と引き換えに承認された。
*南欧都市 コンシュラ
南欧では王権から独立した貴族が最初から都市経営していた。都市役人(コンシュル)は商人ではなく騎士だった。
黙示録末法思想を信じたヨーロッパ・キリスト教徒
1000年まで もうすぐ神が来る、審判が下る、寒い、死ぬ
1000年から 煉獄は来ない、暖かくなってきた、自由に生きよう
最後の審判の日、イエスキリストを花嫁として迎えるために、教会主導で想像上の「天上の都市」が演出・整備されていった。
11世紀からペスト流行の13世紀末にかけて、都市人口が爆発的増加。教会の堕落・腐敗に伴い、宿屋・居酒屋・娼家などまで形成された。楽士(ミンストレル)が雰囲気を盛り立てた。権力の象徴だった泉を中心にして広場がつくられ、定期市、宗教行列(プロセッション)、祝祭(カーニヴァル)、イエスのイスラエル入城を真似た王侯入城式、騎士の馬上槍試合、公開処刑がおこなわれた。
教会は、ロマネスク様式からゴシック様式へ。修道院が農村の森林を伐採・開墾。農地が飛躍的に拡大し、農村人口が爆発的に増加、恐ろしい森林が消え都市と農村のアクセスが飛躍的に容易になった。これを大開墾時代と呼ぶ。森の神を慕って森を象ったゴシック様式になったのか。
街路は埃と泥にまみれ、住民は家畜を飼育し、塵芥や汚物を街路に投げ捨てた。飲酒による殴打・侮辱が頻発。騎馬警官と歩行警官が取り締まった。
商人ギルド、手工業者ギルドを形成。親方・職人・徒弟。親方は徒弟に衣食住を提供、職人はすぐに開業は許されず1年おきに親方と雇用更新。遍歴職人(流しの職人)が多かった。女性は、繊維服飾関係の親方以外の親方にはなれなかった。市庁舎・大聖堂規模のギルド会館を建設し、教会にステンドグラスを寄進した。徒弟の逃亡、職人のストライキ・反乱が頻発した。
ヘントの反乱
ケルン織布工の蜂起
フィレンツェのチョンピ一揆
リューベックの市民闘争
ロンバルド商人、ハンザ商人。イスラム商人から、海上保険、為替、複式簿記、商業通信を学び模倣した。
兄弟団、信心会。毎年加入金を払えば、外国人、盲人、乞食、誰でも入会できた。制服を着て団結を強めた。祭壇を清掃装飾し、祈祷を義務付け、貧民にパン・飲み物・衣類をボランティアした。
大学の学生組合(ウニヴェルシタス)、教師組合(マギストゥロールム)。写本、居酒屋、宿屋の需要が爆発的に拡大した。
富裕市民の寄進による施療院(ホスピタール)、捨児養育院、娼婦更生施設、盲人施設、失業救済施設。ユダヤ人、娼婦、楽士、ハンセン病患者が差別された。
14、15世紀の気候寒冷化、ペスト流行によって都市の自治と自由が衰退、絶対王政の時代を迎えることになった。
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