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2023年1月20日 (金)

ウクライナ・クリミアからみた中世史

今、一番興味がある趣味だ。中央アジアに住む強い遊牧騎馬民族の子種のうち、なぜか一つ二つが強大になってステップ気候穀倉地帯ウクライナ・クリミアに出現する。こいつが現れたら、ちょっとやそっとでは手が付けられなかった。スラヴは蹴散らされ、ヨーロッパ・ゲルマン、小アジア・ローマ、イスラム諸国、その大国保護下で働く海洋商人の親分までかき回された。海洋交易の担い手の変化は中国そして日本にまで影響したのだ。

モンゴルはアジアとヨーロッパをはじめて結んだと言われる。それには異論がある。モンゴルの本質は殺戮破壊だけして強奪して走り去ること。もともとあった緻密な国際関係を間引いてシンプルに整理しただけのことだ。チンギスカン以前に、アジアとヨーロッパはひとつに結ばれていた。遊牧民族に文字がなかった。だから詳細な歴史がわからないが、なにか大きな出来事があって、一粒子種が周囲の民族を征服して束ねていっては滅んだ。

4世紀 ゴート族(ゲルマン民族の大移動)

5世紀半ば フン帝国

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6世紀前半 アヴァール汗国

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6世紀後半~10世紀 ハザール汗国

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10世紀 ペチェネグ帝国

12世紀 クマン汗国(ポロヴェッツ)

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13世紀前半 ビザンツ帝国 with ジェノヴァ商人

13世紀後半 キプチャク汗国(バトゥ)

14世紀~15世紀 クリミア汗国

15世紀~ オスマン帝国

このあとは、南下して不凍港を獲得したいロシア帝国と、そうはさせたくない大英帝国の争いになる。

クリミア戦争

露土戦争

第一次世界大戦

 

大唐帝国時代のソグド商人のネットワークがすごい!絹織物だけではない、奴隷貿易が行われていた。

安史の乱で粛清される前に、ソグド商人が中央アジア各国を巡っている。のちに強大となる子供のペチェネグ人がイシククル湖畔にひっそりと生きている!

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高句麗の粘りと、渤海の復興はあったが、まだまだ病み上がりの弱小国。則天武后の頭痛の種は西突厥の反抗であった。このおかげで、白村江の戦いに敗れ百済を匿っていると見られていた日本は大唐帝国の支配を免れたといってよい。カプガン可汗(黙啜もくてつ)さまさまである。ほんとうに危なかった。

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10世紀から北欧のヴァイキングが蠢く。

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最初に覚えておかねばならないのは、この三つだ。

ノヴゴロド → ヴォルガ川 → カスピ海 (イスラム商人)

モスクワ → ドン川 → 黒海 (イタリア商人)

キエフ → ドニエプル川 → 黒海 (イタリア商人)

 *共通テストの頻出問題だ!

ノヴゴロド → バルト海 → ハンザ同盟 (ドイツ商人)

ノヴゴロド → バルト海 → カルマル同盟 (ヴァイキング)

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キエフ公国は地の利を生かして黒海沿岸の一部を獲得した。

バルト海に面してバルト海交易ができるのはノヴゴロド公国だけだった。バルト3国の原住民(原プロイセン人)を殲滅したドイツ騎士団がノヴゴロド公国を征服すべく来襲。1242年、チュード湖の「氷上の戦い」でノヴゴロドがドイツ騎士団を破り、ヴァイキングがゲルマン北進を阻止した。

Die Eisenfaust am Lanzenschaft ✠ [ドイツ民謡][英訳つき] - YouTube

モスクワ大公国(モスコヴィア)は、北のノヴゴロドのせいで南の黒海に交易を求めるしかなかった。キプチャク汗国から「タタールのくびき」と呼ばれる支配を受けることになった。モンゴルの軍事力が衰退すると、カザン汗国、アストラハン汗国、クリミア汗国の三つに分裂。イワン3世が、1478年ノヴゴロド公国を併合し、1480年ウグラ河畔の対峙でタタールのくびきを断った。イワン4世(雷帝)がカザン汗国とアストラハン汗国を併合したが、クリミア汗国だけは強大で併合に失敗した。このことが後々までロシア南下を苦しめることになった。

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黒海に、イタリア植民都市が築かれ、モスクワ大公国、キエフ公国と交易した。ラテン帝国を築いたヴェネチアが黒海を独占したが、ラテン帝国がニケーア帝国に敗れると、協力を惜しまなかったジェノヴァがヴェネチアを駆逐して黒海交易を独占した。

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