黒海の歴史
黒海周辺は諸国タコ殴り状態。
西岸 ローマ帝国時代から「ダキア」と呼ばれ、征服できたと思ったら懲りずに山から攻めてきてローマ兵が大量殺戮されるといった繰り返し。クラッススも苦労した。ここはもう要らんということでローマも見放した。
東岸 鉄器スキタイの末裔としてのプライドが高い。グルジア(ジョージア)、アルメニア、アゼルバイジャンといった国々がタコ殴り。スブタイ遠征によって滅茶苦茶にされた。コサック騎兵という世界最強のやばい馬賊が住む。ナポレオンも身ぐるみはがされた。南方からイスラムがちょっかいを出してくる。ビザンツ滅亡後はロシアがちょっかいを出した。大英帝国がロシア南下を激怒して世界大戦の前哨戦が行われた。
南岸 アナトリア(小アジア)。ここはローマ帝国も兵を投入しまくって必死で守ったせいもあって、言うほどの小競り合いはなかった。強大なトルコ、モンゴルが来たら「はーい。」と言ってあっさり手渡した感じ。イスラエルとアレッポとアンティオキアはいただきたいというわけで十字軍に目標変更。向こう岸のバルカン半島はタコ殴りの宗教戦争だったが。
北岸 ここが一番やばい。ヌボーといつの間にやら足音なく強大な鵺(ぬえ)国家が建っている。東隣のシルクロード情勢がモロに影響してくる。古くはゴート、アヴァール、アッティラ・フン、ブルガール、キエフ公国、ペチェネグ、モンゴル・・・・。気が向いたら南に向かって攻めてきて鬱陶しいこと極まりない。ビザンツ帝国とオスマン帝国は堡塁としてクリミア半島を支配して、言うこと聞かんかったらいつでも攻めるぞという姿勢を見せ続け一時的平和が得られた。
| 固定リンク
« 謹賀新年2023 | トップページ | 奈良時代 »
最近のコメント