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2023年1月 5日 (木)

鄭和

科挙登用官僚vs宦官

この戦いが中国では長く続いていた。倭寇を嫌った明の洪武帝、建文帝は宮廷風紀を乱す宦官を遠ざけ科挙登用官僚を重んじた。1399~1402年靖難の変、日本国王・足利義満が建文帝宛てと永楽帝宛ての2通の親書をしたためたことは有名だろう。永楽帝が宦官の力を借りて帝位を簒奪したため、宦官の勢力が逆転した。元の官僚として登用された色目人が雲南省に残っており、永楽帝が雲南省を遠征した際、イスラム教徒の鄭和を捕え宦官とし、中華帝国再建をめざす永楽帝に重用された。一時敵対したティムール帝国とも友好関係を取り戻した。

永楽帝は海禁政策を緩和し、鄭和を用いて海賊化した華僑を討伐。国家事業として海軍大艦隊を築いた。宗教の自由を認め、現地人のハートを射止めた鄭和が平和的に交易をおこない、明に多大な富をもたらした。

もし、このまま大明帝国が国家予算を食う海軍大艦隊を持ち続けていたなら、奴隷商人ポルトガルの鼻っ柱をへし折り、インド人やアジア人が白人の奴隷にならずに済んだことだろう。

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