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2023年1月28日 (土)

宝塚歌劇花組「うたかたの恋」「Enchantement」(3回目)をみて

午前診を終え、阪神高速を走り、西宮北口で阪急今津線に乗り、嫁と宝塚大劇場に行ってきました。

座席は少し下手側の良席でした。

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下手側で踊る、都姫ここちゃん、美羽愛ちゃん、三空凛花ちゃんの並びは可愛くてオペラオペラ。みくりんちゃん、目立っていてよかばい。ここちゃん退団はつくづく残念極まりない。星空美咲ちゃん、美羽愛ちゃんはトップスタンバイOK、貫禄がついてきました。

トップコンビの皇帝円舞曲のバックで、二葉ゆゆちゃん、朝葉ことのちゃんがワルツを踊っており、オペラが忙しい。愛蘭みこちゃん、湖春ひめ花ちゃん、真澄ゆかりちゃんをチェック。

侑輝大弥、希波らいとの並びのダンスは豪快極まりない。春妃うららちゃん、凛乃しづかちゃんをオペラしてるとサインを送ってくれた気がしました。気のせいかな。

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2023年1月26日 (木)

中世ヨーロッパ農村

古代ローマ時代 多神教、理性による合理主義、Science

中世ヨーロッパ前半 一神教原理主義、現実をみない理想主義

中世ヨーロッパ後半 一神教実践主義、現実をみる慈愛福祉社会

近世ヨーロッパ 一神教全体主義

 

古代ゾロアスター 多神教、理性による合理主義、Science

中世イスラム前半 一神教、多神教の名残を残した合理主義

中世イスラム後半 一神教原理主義

 

「中世暗黒時代」と言われるが、中世すべてがそうではなかった。貧者に優しいボランティア時代があった。わたしは、短いながらも10世紀~13世紀にこの世に現出した中世ヨーロッパ後半に興味がある。信仰ではなく、わからないものはわからないまま放置して後回しにする一見不真面目な姿勢を好む。ペスト流行と再寒冷化によって敢なく崩壊してしまったのが残念だ。

村ー森ー村ー森ー都市 *森に迷い込んだら帰れない

村ー村ー都市

 

 

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2023年1月25日 (水)

目利きの銀次で新年会

関目君が奈良に来訪。店内独占状態で生ビール、もつ鍋、サザエ、ハマグリに舌鼓。

彩風咲奈さまの賛美など宝塚歌劇の話題で盛り上がりました。5月の雪組貸切公演にS席が当選しましたし、今から楽しみです。

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2023年1月22日 (日)

中世ヨーロッパ都市

金は希少価値であり、高額商品の交易には適するが、安価な日用品の交易には適さない。銀が日用品の交易に適する。

*北欧都市 コミューン

遠隔地交易の拠点が、沿海部や河川沿いに築かれ、ポルトゥスと呼ばれていた。

カロリング朝カール大帝のとき、金本位制をやめ銀本位制に改め、内陸部での交易がより活発化した。ローマ帝国に支配されていた植民都市キヴィタスの領主がローマ皇帝からキリスト教会に替わり、その隣接地にブルグスと呼ばれた衛星都市が築かれた。ヴァイキングやマジャール人の襲来で損害を受け、司教や修道院はキヴィタスの防壁を強化し、商工業者はブルグスの防壁を強化した。都市市民(ブルゲンセス)は、自由な商業・手工業者、不自由な教会庇護民・家人(領主役人層)、農村から逃亡した農奴から成っていた。

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都市の自由をあらわしたのが、

「荘園から逃れた農奴が荘園領主から捕まらず1年と1日、都市に留まることができれば、なんびとも自由を獲得する。」

10世紀より国王権力が衰退すると、都市の犯罪と暴力が増加。司教や伯が率先して、少数の有力土地所有者の中から行政誓約人(ジュレ)と参審人(エシュヴァン)を選出して、自治に努めた。こういった一連のコミューン運動は、国王領内では禁止され、伯や教会領内では軍役義務と引き換えに承認された。

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*南欧都市 コンシュラ

南欧では王権から独立した貴族が最初から都市経営していた。都市役人(コンシュル)は商人ではなく騎士だった。

 

黙示録末法思想を信じたヨーロッパ・キリスト教徒

1000年まで もうすぐ神が来る、審判が下る、寒い、死ぬ

1000年から 煉獄は来ない、暖かくなってきた、自由に生きよう

最後の審判の日、イエスキリストを花嫁として迎えるために、教会主導で想像上の「天上の都市」が演出・整備されていった

11世紀からペスト流行の13世紀末にかけて、都市人口が爆発的増加。教会の堕落・腐敗に伴い、宿屋・居酒屋・娼家などまで形成された。楽士(ミンストレル)が雰囲気を盛り立てた。権力の象徴だった泉を中心にして広場がつくられ、定期市、宗教行列(プロセッション)、祝祭(カーニヴァル)、イエスのイスラエル入城を真似た王侯入城式、騎士の馬上槍試合、公開処刑がおこなわれた。

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教会は、ロマネスク様式からゴシック様式へ。修道院が農村の森林を伐採・開墾。農地が飛躍的に拡大し、農村人口が爆発的に増加、恐ろしい森林が消え都市と農村のアクセスが飛躍的に容易になった。これを大開墾時代と呼ぶ。森の神を慕って森を象ったゴシック様式になったのか。

街路は埃と泥にまみれ、住民は家畜を飼育し、塵芥や汚物を街路に投げ捨てた。飲酒による殴打・侮辱が頻発。騎馬警官と歩行警官が取り締まった。

商人ギルド手工業者ギルドを形成。親方・職人・徒弟。親方は徒弟に衣食住を提供、職人はすぐに開業は許されず1年おきに親方と雇用更新。遍歴職人(流しの職人)が多かった。女性は、繊維服飾関係の親方以外の親方にはなれなかった。市庁舎・大聖堂規模のギルド会館を建設し、教会にステンドグラスを寄進した。徒弟の逃亡、職人のストライキ・反乱が頻発した。

ヘントの反乱

ケルン織布工の蜂起

フィレンツェのチョンピ一揆

リューベックの市民闘争

ロンバルド商人ハンザ商人。イスラム商人から、海上保険、為替、複式簿記、商業通信を学び模倣した。

兄弟団信心会。毎年加入金を払えば、外国人、盲人、乞食、誰でも入会できた。制服を着て団結を強めた。祭壇を清掃装飾し、祈祷を義務付け、貧民にパン・飲み物・衣類をボランティアした。

大学の学生組合(ウニヴェルシタス)教師組合(マギストゥロールム)。写本、居酒屋、宿屋の需要が爆発的に拡大した。

富裕市民の寄進による施療院(ホスピタール)、捨児養育院、娼婦更生施設、盲人施設、失業救済施設。ユダヤ人、娼婦、楽士、ハンセン病患者が差別された。

14、15世紀の気候寒冷化、ペスト流行によって都市の自治と自由が衰退、絶対王政の時代を迎えることになった。

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2023年1月21日 (土)

ピエールで新年会

午前診を終え、近鉄、四つ橋線を乗り継いでグランフロント大阪20階へ行ってきました。

現地で売布神社君、井高野君と待ち合わせ。フランス料理のフルコースに舌鼓を打ちました。

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ローヌワイン。味が変わっていき、美味しかった。

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2023年1月20日 (金)

ウクライナ・クリミアからみた中世史

今、一番興味がある趣味だ。中央アジアに住む強い遊牧騎馬民族の子種のうち、なぜか一つ二つが強大になってステップ気候穀倉地帯ウクライナ・クリミアに出現する。こいつが現れたら、ちょっとやそっとでは手が付けられなかった。スラヴは蹴散らされ、ヨーロッパ・ゲルマン、小アジア・ローマ、イスラム諸国、その大国保護下で働く海洋商人の親分までかき回された。海洋交易の担い手の変化は中国そして日本にまで影響したのだ。

モンゴルはアジアとヨーロッパをはじめて結んだと言われる。それには異論がある。モンゴルの本質は殺戮破壊だけして強奪して走り去ること。もともとあった緻密な国際関係を間引いてシンプルに整理しただけのことだ。チンギスカン以前に、アジアとヨーロッパはひとつに結ばれていた。遊牧民族に文字がなかった。だから詳細な歴史がわからないが、なにか大きな出来事があって、一粒子種が周囲の民族を征服して束ねていっては滅んだ。

4世紀 ゴート族(ゲルマン民族の大移動)

5世紀半ば フン帝国

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6世紀前半 アヴァール汗国

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6世紀後半~10世紀 ハザール汗国

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10世紀 ペチェネグ帝国

12世紀 クマン汗国(ポロヴェッツ)

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13世紀前半 ビザンツ帝国 with ジェノヴァ商人

13世紀後半 キプチャク汗国(バトゥ)

14世紀~15世紀 クリミア汗国

15世紀~ オスマン帝国

このあとは、南下して不凍港を獲得したいロシア帝国と、そうはさせたくない大英帝国の争いになる。

クリミア戦争

露土戦争

第一次世界大戦

 

大唐帝国時代のソグド商人のネットワークがすごい!絹織物だけではない、奴隷貿易が行われていた。

安史の乱で粛清される前に、ソグド商人が中央アジア各国を巡っている。のちに強大となる子供のペチェネグ人がイシククル湖畔にひっそりと生きている!

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高句麗の粘りと、渤海の復興はあったが、まだまだ病み上がりの弱小国。則天武后の頭痛の種は西突厥の反抗であった。このおかげで、白村江の戦いに敗れ百済を匿っていると見られていた日本は大唐帝国の支配を免れたといってよい。カプガン可汗(黙啜もくてつ)さまさまである。ほんとうに危なかった。

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10世紀から北欧のヴァイキングが蠢く。

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最初に覚えておかねばならないのは、この三つだ。

ノヴゴロド → ヴォルガ川 → カスピ海 (イスラム商人)

モスクワ → ドン川 → 黒海 (イタリア商人)

キエフ → ドニエプル川 → 黒海 (イタリア商人)

 *共通テストの頻出問題だ!

ノヴゴロド → バルト海 → ハンザ同盟 (ドイツ商人)

ノヴゴロド → バルト海 → カルマル同盟 (ヴァイキング)

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キエフ公国は地の利を生かして黒海沿岸の一部を獲得した。

バルト海に面してバルト海交易ができるのはノヴゴロド公国だけだった。バルト3国の原住民(原プロイセン人)を殲滅したドイツ騎士団がノヴゴロド公国を征服すべく来襲。1242年、チュード湖の「氷上の戦い」でノヴゴロドがドイツ騎士団を破り、ヴァイキングがゲルマン北進を阻止した。

Die Eisenfaust am Lanzenschaft ✠ [ドイツ民謡][英訳つき] - YouTube

モスクワ大公国(モスコヴィア)は、北のノヴゴロドのせいで南の黒海に交易を求めるしかなかった。キプチャク汗国から「タタールのくびき」と呼ばれる支配を受けることになった。モンゴルの軍事力が衰退すると、カザン汗国、アストラハン汗国、クリミア汗国の三つに分裂。イワン3世が、1478年ノヴゴロド公国を併合し、1480年ウグラ河畔の対峙でタタールのくびきを断った。イワン4世(雷帝)がカザン汗国とアストラハン汗国を併合したが、クリミア汗国だけは強大で併合に失敗した。このことが後々までロシア南下を苦しめることになった。

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黒海に、イタリア植民都市が築かれ、モスクワ大公国、キエフ公国と交易した。ラテン帝国を築いたヴェネチアが黒海を独占したが、ラテン帝国がニケーア帝国に敗れると、協力を惜しまなかったジェノヴァがヴェネチアを駆逐して黒海交易を独占した。

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2023年1月15日 (日)

宝塚歌劇宙組「真風イズム」(ライブ配信)をみて

自宅でまったりと観劇しました。ほのぼのとした宙組の幸福感が伝わってきてよかったです。宝塚46もかわいかったです。宝塚大劇場の007が楽しみ。

水音志保ちゃんがソロ、はじめて歌を聴きました。

優希しおん、ダンスソロはさすがっす。

小春乃さよ、若翔りつ、天彩峰里、真名瀬みらは、安定の歌いっぷり。

(補給水を運んできだ鳳城のあんに)

ずん「最下級生の鳳城あのん君でーす。」

あのんって、カッコいい亜音有星くんの名が潜在意識から出たのかな。そのあとの潤花ちゃんと桜木みなと君の崩れ落ちる様子が一番おもしろかった。

風羽咲季ちゃんをチェック。

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2023年1月12日 (木)

海洋帝国

1 フェニキア帝国

シドン港、ティルス港、ビブロス港を拠点。レバノン杉で造船。

キプロス島、サルディニア島、シチリア島、マルタ島、バレアレス諸島(マジョルカ島)、イビサ島、イベリア半島(カルタヘナ・マラガ・バルセロナ)、モロッコ(タンジェ)、カディス、リスボンに進出。メッシーナ海峡は流れが速く古代船は通過不能。シチリア海峡とジブラルタル海峡が重要ポイントになった。

アッシリアや新バビロニアにシドン・ティルス・ビブロスを奪われ、パレルモ、カルタゴを新たな拠点とする。

*古代ギリシャ

飲料水と食糧がなく、黒海北岸のウクライナの穀倉から食料を得た。ダーダネルス海峡、ボスプラス海峡が重要ポイント、ビザンティオンを拠点。

ウクライナ騎馬民族スキタイ人に敗北し続けた古代ペルシャ帝国が、ギリシャ人の穀物買い付けルートに乗ってウクライナを攻めた。そのため、ギリシャ・ペルシャ間にペルシャ戦争が生じた。

古代ペルシャ帝国はフェニキア都市を保護したが、エジプト穀倉地帯を独占したいマケドニア帝国はフェニキア都市を破壊しつくした。新たな拠点としてアレクサンドリアを建設。マケドニア帝国に勝ったロードス島のロードス商人が史上初めて「公海」を提唱する。

古代ローマ帝国は、食料を求めて、シチリア島、エジプトの穀倉地帯を支配するも不足。ダキア経由でウクライナ穀倉地帯を目指すも原住民の抵抗に会い諦めた。穀物を市民に無料支給するため、アウグストゥスは、食糧長官を常置して東アジア、東南アジア、インドとの海洋貿易に乗り出した。五賢帝が征服したパルティアから疫病流行、属州にローマ市民が移住し、カラカラ帝が市民権を乱発し、市民権を得るために頑張ってきた兵のやる気を削ぐこととなり、傭兵を雇い滅亡の要因を作った。疫病退散の奇跡を演じたキリスト教徒がキリスト教(当時は邪教)を広めたことで、ローマの最新科学技術が衰退し、異教徒と異端を虐殺して天国に行けるとする暗黒の中世となった。

 

2 遊牧帝国と共存したインド帝国と、遊牧帝国と戦闘した中華帝国

抑えなければならない重要ポイントは、

マラッカ海峡 浅瀬が続き干満差が激しく航行困難。海賊の格好の餌食。

ホルムズ海峡

バブ・エル・マンデブ海峡

林邑(チャンパ)にインド商人が移住。扶南(カンボジア)に大農業国(プノム)建国。スマトラ島にシュリーヴィジャヤ、ジャワ島にシャイレーンドラを建国。

*アッバース朝

海洋交易に無関心。民間商人と共存した。バクダードが栄えに栄え、キリスト教という迷信を妄信した超貧乏国フランク王国に恩恵を垂れた。アラブ人メシアに納得がいかない、プライド高きペルシャ人(イラン人)は別系統のイスラム帝国を築く。漢人に祖地を蹴とばされた、奴隷あがりのトルコ人にはそんなプライドはなかったが、奴隷出身という汚名返上に躍起になった

*黄巣の乱 875~884

塩の密売商人、王仙芝と黄巣が反乱。広州に栄えていたイスラム商人、ユダヤ商人、キリスト教徒、ゾロアスター教徒が大虐殺された。イスラム商人はマラッカまで撤退した。閩南人、客家人といった中華の夷狄が、インド洋の「ダウ」を真似て「ジャンク」という外洋帆船を建造し、南京と東南アジア間の海洋交易を独占した。南宋はジャンク交易を保護した。強大国だった中原の五代(後梁・後唐・後晋・後漢・後周)は、遣唐使廃止」「遣呉越使」の日本交易で栄えた呉越国台湾・東南アジア交易で栄えた閩国宦官乱造の南漢国が稼ぎあげたジャンク交易の富を貢がせた。

世界史教科書で「五代十国」が軽んじられているが、「東アジアに勃発したジャンク交易」はものすごく重要な学習事項だと思う。海の道は、絹織物から陶磁器の輸出へ。「セラミックロード」の誕生。のちポルトガル商人は下衆な奴隷貿易に換えてしまう。海洋交易に受け身消極的だった大清帝国の責任だ。どだい、ルール無法ランドパワーの馬賊・満洲人に他民族との連携が大切ルール厳守シーパワー海洋商人が務まるわけがないのだが。

*大元帝国

草原の道 元の北京とイル汗国のダブリースを結ぶ。

海の道 北京、天津、杭州、泉州、東南アジア、インド、ホルムズを結ぶ。

日本には日元貿易が栄えに栄え、「留学僧・渡来僧の世紀」を迎え、中華風の日本文化の基礎が築かれた。書院造、日本庭園、家具、精進料理、点心、飲茶など。茶道、華道、歌道、香道。蘭渓道隆、無学祖元、夢想疎石。五山僧が幕府の外交を担当した。

1252年 モンゴル軍人のノミが中国のクマネズミに感染

1331年 中国でペスト流行

1345年 キプチャク汗国がジェノヴァ都市カッファを包囲した際、ペスト罹患の死体を投石器で投げ入れた。ジェノヴァ王国からイタリア全土、地中海貿易のイタリア商人によりヨーロッパ全土に感染拡大。

*大明帝国

洪武帝・建文帝 海禁政策・宦官禁止

永楽帝 鄭和「宝船」大艦隊による南海遠征・帝位につくとき宦官の世話になったので宦官容認

 

 

3 ヴァイキング帝国と北方十字軍

スカンジナビア半島の農耕民族が、人口過密と寒冷被害に耐えかねて海賊行為に至った。

シチリア島・南イタリアまでノルマン・コンケスト。

異教徒ヴァイキングへ北方十字軍。重要な中継点リューベックとハンブルクにハンザ同盟結成。ヴァイキング帝国に対抗し勝利した。

ヴァイキングのロシアは豊富な河川に沿って都市を形成。琥珀と毛皮と蜂蜜をムスリム商人と交易した。そこへトルコ系ペチェネグ人が交易ルートを遮断したため、自給自足をするためにキエフ公国を建国した

ピョートル大帝は海軍を創設したが船が幼稚でバルト海覇権を獲得することに失敗、毛皮を求めてシベリアへ、さらにアリューシャン列島・アラスカで高級剛毛ラッコの毛皮を乱獲し、大清帝国と交易。ラッコが絶滅したアラスカをアメリカに売り渡した。ラッコが絶滅した千島列島を日本の樺太と交換した。

 

4 バスク帝国

フランスとスペイン山岳でゲルマン民族に抵抗したバスク人がついに、王国、そして世界を支配する帝国を建国するに至った。

 

5 国際金融資本のお乗り換え:おフランスに憧れた大英帝国から、おフランスの真似をしたアメリカ帝国へ

総元締めの国際金融資本が目指しているのは、「グローバリズム」、自由という名の全体主義

大英帝国はピューリタン革命までおフランスを受け入れたが、どうにかこうにか阻止し孤高の自由を保った。

アメリカ帝国はおフランス「人権宣言」の条文どおり、個人の自由を奪いながら猪突猛進。

おフランスはもともと、イエスキリストの血族であるとローマ教皇を脅し続けた謎多き王国。まんざら嘘でもないのか、ローマ教皇も口封じに焦っている。

変なものは大体、フランスから来る。

フランス、けっこうヤバいです。

王は神であるから血が青い、自然状態でなんで戦ってるねん?協力せな生きていけんやろ、縄文集落みてみ、王権神授説然り、啓蒙思想然り、フリーメイソン然り、リヴァイアサン、ルソー社会契約説、一般意志ってなに? フランス人権宣言然り。共和制の敵やから裁判要らず死刑?なんでやねん、デカルト、理性によって認識できないものは切り捨てて、理性によってすべてを分割し統合する理性信仰。重商主義、景気が良くなったら貿易赤字が当然やで、何じゃらほい?? フランス映画の主張もようわからん。

ユダヤ 対 反ユダヤの戦いに全世界が巻き込まれている。

ユダヤ ⇐⚔ 反ユダヤ ナショナリズム(白人至上主義・アメリカ第一主義)

ユダヤ グローバリズム(企業社会主義) ⚔⇒ 反ユダヤ

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2023年1月11日 (水)

台湾の歴史と東アジア海洋貿易

台湾国民構成

1 閩南人 福建省南部出身の海の民(閩越)と漢人との混血

2 客家人 福建省出身の山の民(山越)・広東省出身の山の民(蛮)と漢人との混血

3 外省人 蒋介石が連れてきた国民党漢人

4 原住民17族

 

伊藤博文と李鴻章の下関条約交渉で大清帝国が証言している。

「日本は、占領していない東台湾まで割譲を要求するのか?」

「中国だって、ロシアが占領してもいない東シベリアをロシアに割譲してあげたじゃん。」

東台湾 化外の地なので清王朝は関知しない。野蛮な土人のゲリラ戦で清王朝ですら朝貢を強制できず諦めていた。

西台湾 中国固有の領土

中国にとって、化外の地(固有の領土ではない地)は、東シベリア(外満洲・黒龍江)と東台湾である。

 

漢人のものは漢人のもの

満洲人のものは漢人のもの

台湾人のものは漢人のもの

こんな論理がまかり通るわけがない。

 

ローマと中国を結ぶ交易は、シルクロードを通してではなく大部分、海の道を通して行われ、古くから閩南(びんなん)が海洋貿易を担当してきた。鄭和をジャワ・インド・ホルムズに派遣した明の永楽帝を除いて、歴代中国王朝は海洋貿易への関心が薄かった。NHKがシルクロードに脚光をわざと浴びせたのは、「一帯一路」政策のプロパガンダによる。

 

呉の諸葛恪、蜀の諸葛亮は、兵力不足を補うために未開の土人狩りをおこなっている。五代十国時代の閩(びん)のとき、やっと福州港を開発し始める。海洋貿易の利益を南唐が奪い取って酒池肉林。元フビライのとき、南宋から福州、泉州、広州を奪う。泉州は浅瀬なので大型船が接岸できない。

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2023年1月 9日 (月)

宝塚歌劇花組「うたかたの恋」「Enchantement」(2回目)をみて

今朝、近畿自動車道、中国自動車道を走って、宝塚大劇場に行ってきました。井高野君と現地集合。座席は1階上手側の良席でした。

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上手側で頻回に見られた群舞での並びは、

103期コンビ 朝葉ことの&二葉ゆゆ

104期コンビ 都姫ここ&美里玲菜

短いが、愛蘭みこ、真澄ゆかり、湖春ひめ花

デュエットダンスで確認でき覚えているのは、

珀斗星来(白雪さち花の妹)&二葉ゆゆ

永久輝せあ&星空美咲

永久輝せあ&美羽愛

 

じっくりオペラグラスでハムレットのダンスを堪能しました。

ハムレット 天城れいん

オフィーリア 七彩はづき

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2023年1月 5日 (木)

宝塚歌劇花組「うたかたの恋」「Enchantement」(1回目)をみて

近畿自動車道、中国自動車道を走って嫁と宝塚大劇場に行ってきました。座席は1階下手側の良席でした。

「蒼穹の昴」ブルーレイ、あわちゃん(美羽愛)のスチール写真、「うたかた」「ブラックジャック」のパンフレットをキャトルレーヴで購入。

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第一部「うたかたの恋」

歌・踊りの流れがブチブチ切れていました。時間制限もあるし、まあ仕方ないのかな。ハムレット「オフィーリア」に並行して話が進んでいく。ハムレット(104期・天城れいん)とオフィーリア(107期・七彩はづき)。はづきちゃんは梅芸TOP HAT以来久しぶり。

マリー(星風まどか)一家 マリーがジェシカに密談してルドルフに会いまくる

 母・男爵夫人 凛乃しづか

 姉・ハンナ 三空凛花

 兄・ジョルジュ 希波らいと

 いとこ・ラリッシュ伯爵夫人 朝葉ことの

 乳母ジェシカ 組長・美風舞良

 ハンナの「いいわぁ。」のセリフでダンスが停止する感じ。

 

自由主義者たち

 ルドルフは自由主義に染まるも、ジャンの革命運動には反対。緩やかなヨーロッパ共同体を目指していた。ドイツに接近する国策、ステファニーとの離婚、マリーとの恋愛に反対する皇帝フランツと真っ向から対決姿勢を示す。

 ジャン 水美舞斗 ♡ ミリー 星空美咲

 ゼップス 和海しょう

 クロード 侑輝大弥

  政治実権掌握のためにルドルフ廃太子とフェルディナンド立太子をもくろむフリードリヒ官房長官(羽立光来)が、マイヤーリンクへフェルディナンド大公率いる軍を差し向けて、ルドルフ共々自由主義者を逮捕する。

 

ルドルフ(柚香光)一家 ルドルフがロジェックにマリーへの手引きを命じる

 正妃ステファニー 春妃うらら マリーに文句を言って殴りかかろうとするも、ジャンがダンスをリードしながらうまく退けた。

 妹マリー 都姫ここ

 父フランツ 峰果とあ ♡ シュラット夫人 糸月雪羽

 母エリザベート 華雅りりか

 老従僕ロシェック 副組長・船琉ひびき

 御者ブラットフィッシュ 聖乃あすか

 愛人ツェヴェッカ伯爵夫人 鈴美梛なつ紀 ルドルフとマリーの恋愛をフリードリヒ官房長官に密告した。「(スパイなのに)ほんとうに惚れているんじゃないだろうな?!」

 

フェルディナンド大公 永久輝せあ ♡ ソフィー 美羽愛

 帝位継承第2位

ルドルフがフェルディナンド大公へ放った最後の言葉

「ハプスブルク帝国の後の事をたのむ。」

これって花組トップ交代を暗示してるよね。

 

シーン1 ウィンナワルツの群舞 贔屓さん見どころ満載

シーン2 ブルク劇場 糸月雪羽ちゃんが銀橋でオペラ絶唱、すごい!

シーン3 ザッシェルの店 ロシア・マリンカ(咲乃深音)が絶唱、すごい!

シーン4 プラーター公園 ミッツィ(詩希すみれ)が絶唱。

シーン5 ドイツ大使館 ルドルフとマリーの名セリフ

シーン6 エピローグ

 影ソロがものすごくうまい!すごすぎ!!

 男声 龍季澪(たつき みお) 101期

 女声 花海凛(はなみ りん) 108期サイカ、まじか!

 

第二部「アンシャントマン」

都姫ここちゃんと美羽愛ちゃんの104期並びが下手側で多く、オペラグラスで追っかけました。

美遥あゆちゃん、真澄ゆかりちゃんの並びが綺麗で記憶に残りました。

トップコンビのすぐ後ろで、二葉ゆゆちゃんが踊っていました。また一段と色っぽく綺麗になりましたね。

湖春ひめ花ちゃんもオペラグラスで追っかけました。花組は美人だらけで忙しい。

星風まどかちゃんのマリリンモンローはオペラオペラ。

群舞では、凛乃しづかちゃんが、退団していく都姫ここちゃんに定位置を譲っていましたね。都姫ここちゃんにマリーを演じてほしかった。

ラストのほうで、星空美咲ちゃんが担がれてワッショイされていました。珍しい振付。宝塚ソングでエトワール。これはトップ娘役確定でしょうね。

マイティーの2番手羽根をしっかり目に焼き付けました。

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鄭和

科挙登用官僚vs宦官

この戦いが中国では長く続いていた。倭寇を嫌った明の洪武帝、建文帝は宮廷風紀を乱す宦官を遠ざけ科挙登用官僚を重んじた。1399~1402年靖難の変、日本国王・足利義満が建文帝宛てと永楽帝宛ての2通の親書をしたためたことは有名だろう。永楽帝が宦官の力を借りて帝位を簒奪したため、宦官の勢力が逆転した。元の官僚として登用された色目人が雲南省に残っており、永楽帝が雲南省を遠征した際、イスラム教徒の鄭和を捕え宦官とし、中華帝国再建をめざす永楽帝に重用された。一時敵対したティムール帝国とも友好関係を取り戻した。

永楽帝は海禁政策を緩和し、鄭和を用いて海賊化した華僑を討伐。国家事業として海軍大艦隊を築いた。宗教の自由を認め、現地人のハートを射止めた鄭和が平和的に交易をおこない、明に多大な富をもたらした。

もし、このまま大明帝国が国家予算を食う海軍大艦隊を持ち続けていたなら、奴隷商人ポルトガルの鼻っ柱をへし折り、インド人やアジア人が白人の奴隷にならずに済んだことだろう。

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2023年1月 4日 (水)

春日大社参拝

春日大社に初詣。

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2023年1月 2日 (月)

奈良時代

持統天皇が大津皇子を謀反の罪で殺害、草壁皇子を即位させようとしていた。律令に詳しい田辺氏で育った藤原不比等が持統天皇の信頼を受けることになった。702年、持統死去。

707年、文武死去により、幼い首(おびと)が成人するまでの繋ぎとして阿閇皇太妃が元明天皇に即位。反対派を抑えるため、不比等は授刀舎人寮(たちわきのとねりりょう)という天皇親衛軍を設置。

708年、平城京遷都を決意。藤原不比等体制。ただし、太政官一氏一人制が効いており、独裁には至らず。

造宮卿 大伴手拍(おおとものたうち)

造平城京司 多治比池守(たじひのうけもり)

大匠 坂上忍熊(さかのうえのおしくま)

714年、首が皇太子になる。

715年、氷高内親王が元正天皇に即位。旧官僚が次々と死去。太政官は藤原不比等と阿倍宿奈麻呂だけになった。房前を参議にする。麻呂を美濃介に任じて、瑞兆を報告させ元号を次々変えていくきっかけを故意に作らせた。武智麻呂を首の賛引役(導き役)に任じて側用人としてのちの聖武天皇の信頼を勝ち得るように根回しした。宇合を常陸国守に任じて、719年、按察使(あぜち)を設置して、安房・上総・下総の按察使を兼任させた。

718年、長屋王をナンバー2の大納言に任じた。

720年、不比等死去。皇親体制。

大納言 長屋王

知太政官事 舎人親王

知五衛及授刀舎人事 新田部親王

*長屋王派 房前・大伴旅人・阿倍広庭

*武智麻呂派 多治比池守

 

元明天皇と元正天皇は、長屋王と藤原房前を信頼。

首は、藤原武智麻呂を信頼。

 

722年、謀反の罪で、多治比三宅麻呂が伊豆に流刑、穂積老が佐渡へ流刑。

723年、三世一身法

724年、蝦夷討伐。大将軍・藤原宇合、副将軍・高橋安麻呂、鎮狄将軍・小野牛養。

724年、聖武天皇即位。長屋王は左大臣に。

728年、基皇子死去。

729年、藤原麻呂により、基皇子呪詛の罪で長屋王の変。藤原宇合が長屋王邸を包囲。武智麻呂が糾問。嫡男の膳夫王殺害が主目的。

*武智麻呂主導体制 県犬養橘三千代・房前と対立

光明皇后・舎人親王・宇合・麻呂・多治比県守・大伴道足

大惣管 新田部親王

副惣菅 藤原宇合

山陽道鎮撫使 多治比県守

山陰道鎮撫使 藤原麻呂

南海道鎮撫使 大伴道足

東海・東山節度使(蝦夷反乱用) 藤原房前

山陰道節度使(新羅来寇用) 多治比県守

西海道節度使(新羅来寇用) 藤原宇合

737年、第10次遣唐使第2船がもたらした天然痘で藤原四子死去。

*皇親体制

知太政官事 鈴鹿王

大納言 橘諸兄(葛城王)

中納言 多治比広成

参議 大伴道足

738年、阿倍内親王立太子

*阿倍内親王派 橘諸兄・光明皇后

*安積親王派 元正上皇・橘奈良麻呂・大伴家持

藤原広嗣が、橘諸兄・藤原宮子・光明皇后・藤原豊成・聖武天皇を誹謗中傷。広嗣と高橋安麻呂を大宰府へ左遷。石上乙麻呂を土佐へ流刑。

740年、大野東人・紀飯麻呂・楉田勢麻呂(しもとたのせまろ)・膳東人(かしわでのあずまびと)が広嗣と綱手を討つ。恭仁京に遷都。

嫁姑問題:

*難波宮遷都派 元正上皇・橘諸兄

*紫香楽宮遷都派 聖武天皇・光明皇后・藤原仲麻呂

741年、国分寺・国分尼寺

742年、阿倍内親王を誹謗中傷した塩焼王が伊豆へ流刑。

743年、墾田永年私財法

744年、安積親王が脚気で死去。

745年、平城京遷都

746年、東大寺大仏鋳造。造仏長官は国中公麻呂。仲麻呂、橘諸兄に圧力をかけるために授刀舎人寮と鎮撫使を再設。

749年、阿倍内親王、孝謙天皇に即位。実権が橘諸兄から藤原仲麻呂に移り、紫微中台を創設。

*光明仲麻呂体制

紫微令 藤原仲麻呂

大弼 大伴兄麻呂・石川年足

少弼 巨勢堺麻呂・肖奈王福信(しょうなのこしきふくしん)

756年、道祖王を後継とせよと遺言して聖武天皇逝去。

757年、道祖王廃太子。塩焼王・池田王・船王を排して、大炊王(おおいおう)を立太子。仲麻呂、紫微内相に就任して、軍事権を掌握。養老律令を施行。設令所を設置して、明法博士・山田白金に新令講書を命じた。橘奈良麻呂の変で多くの皇族・官僚が処刑された。兄の右大臣・藤原豊成を大宰府に左遷。減税の徳政令を敢行。

問民苦使(もみくし) 貧窮と疾病に苦しむ庶民を巡問・救済

平準署(へいじゅんしょ) 官稲を貯穀し米価の高騰下落によって得た利益を運脚夫の食料に充てる

僧綱(そうごう) 鑑真と良弁を大僧都に任じて戒律を徹底させようとした。寺の経済を監視し徴税した。

唐招提寺に瓦や食堂を献じて、藤原仲麻呂と鑑真は親密であった

唐使 沈惟岳

新羅使 金貞巻、金体信

渤海使 楊承慶、高南申、王新福

 

律 刑法

令 民法・行政法

格 律令条文を修正・整備する法令

式 律令と格の施行細則

758年、大炊王が淳仁天皇に即位。孝謙から御璽・駅鈴が移譲。仲麻呂、恵美押勝と改名し、大保(右大臣)に就任。

760年、仲麻呂、大師(太政大臣)に就任。光明皇后死去。私鋳銭(贋金)が通貨の半分に達したため、開基勝宝(金貨)、大平元宝(銀貨)、万年通宝(銅貨)を鋳造。

761年、近江の保良宮(北京)に遷都

763年、藤原良継の変。佐伯今毛人、大伴家持、石上宅嗣と仲麻呂暗殺計画が発覚、大宰府と薩摩に流刑となる。

763年、鑑真和上崩御。鑑真は、4位13階の僧位制度を創設した仲麻呂と親交があった。

764年、仲麻呂の乱。孝謙上皇、山村王に命じて淳仁の御璽・駅鈴を奪取させる。坂上苅田麻呂・牡鹿島足に命じて久須麻呂を射殺。紀船守に命じて矢田部老を射殺。吉備真備・日下部子麻呂が勢多橋をブロック、物部広成が愛発関をブロック。藤原蔵下麻呂(くらじまろ)が藤原真先を斬殺、石村石楯(いわれのいわたて)が仲麻呂を斬殺、弟・巨勢麻呂や同行していた塩焼王も斬殺。

西大寺創建で国家財政が窮乏。道鏡を太政大臣禅師に任じた。藤原豊成を右大臣に任じた。和気王に命じて、淳仁天皇を廃位、淡路島に流刑。称徳天皇重祚。

765年、逃亡した淳仁廃帝を佐伯助と高屋並木が殺害。称徳天皇、呪詛の罪で和気王を絞殺。和気王に加担した式部大輔の粟田道麻呂、兵部大輔の大津大浦、式部少輔の石川永年を流刑。豊成死去の為、藤原永手が後任。開墾禁止令。

766年、道鏡を法王に任じた。鸞輿(らんよ:天皇が用いる輿)を許された。海龍王寺に仏舎利が見つかるたびに道鏡は昇位した。法参議の基真が偽作。

769年、称徳呪詛の罪で不破内親王、氷上志計志麻呂(ひがみのしけしまろ)が流刑。法均の弟・和気清麻呂を宇佐八幡宮に遣わす。道鏡が法均を備後に、清麻呂を大隅に流刑。由義宮を西京に定めた。

770年、称徳天皇逝去。藤原百川(雄田麻呂)、左大臣・藤原永手、内大臣・藤原宿奈麻呂らが白壁王を擁立して光仁天皇即位。皇位簒奪の罪で道鏡を下野に流刑。大納言・弓削浄人を土佐に流刑。

771年、藤原永手死去。藤原良継が後任となる。

772年、井上内親王(いがみないしんのう)廃后、他戸王(ふさどおう)廃太子。

773年、山部親王が立太子。

*蝦夷征討

大伴駿河麻呂

紀広純

藤原継縄

藤原小黒麻呂

坂上田村麻呂

777年、藤原良継死去。藤原魚名が後任。

781年、山部親王が桓武天皇即位。

782年、左大臣・藤原魚名を大宰府に左遷。

785年、藤原種継暗殺事件に死去したばかりの大伴家持と早良親王が関与。早良を淡路島に流刑。

782年、氷上川継が謀反で伊豆に流刑。

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黒海の歴史

黒海周辺は諸国タコ殴り状態。

西岸 ローマ帝国時代から「ダキア」と呼ばれ、征服できたと思ったら懲りずに山から攻めてきてローマ兵が大量殺戮されるといった繰り返し。クラッススも苦労した。ここはもう要らんということでローマも見放した。

東岸 鉄器スキタイの末裔としてのプライドが高い。グルジア(ジョージア)、アルメニア、アゼルバイジャンといった国々がタコ殴り。スブタイ遠征によって滅茶苦茶にされた。コサック騎兵という世界最強のやばい馬賊が住む。ナポレオンも身ぐるみはがされた。南方からイスラムがちょっかいを出してくる。ビザンツ滅亡後はロシアがちょっかいを出した。大英帝国がロシア南下を激怒して世界大戦の前哨戦が行われた。

南岸 アナトリア(小アジア)。ここはローマ帝国も兵を投入しまくって必死で守ったせいもあって、言うほどの小競り合いはなかった。強大なトルコ、モンゴルが来たら「はーい。」と言ってあっさり手渡した感じ。イスラエルとアレッポとアンティオキアはいただきたいというわけで十字軍に目標変更。向こう岸のバルカン半島はタコ殴りの宗教戦争だったが。

北岸 ここが一番やばい。ヌボーといつの間にやら足音なく強大な鵺(ぬえ)国家が建っている。東隣のシルクロード情勢がモロに影響してくる。古くはゴート、アヴァール、アッティラ・フン、ブルガール、キエフ公国、ペチェネグ、モンゴル・・・・。気が向いたら南に向かって攻めてきて鬱陶しいこと極まりない。ビザンツ帝国とオスマン帝国は堡塁としてクリミア半島を支配して、言うこと聞かんかったらいつでも攻めるぞという姿勢を見せ続け一時的平和が得られた。

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2023年1月 1日 (日)

謹賀新年2023

明けましておめでとうございます。

平城山(ならやま)に風が吹きすさび、平城宮趾大極殿の天平の鐘の音が鳴り響いていました。

人恋ふは 悲しきものと 平城山に
もとほり来つつ たえ難かりき

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ここ西大寺は称徳天皇(孝謙天皇)の御陵がそばにある。770年(宝亀1)2月末に由義宮に行幸、6月に平城京に戻り、8月4日に平城京西宮(地面が緑色の部分で今は埋めている)にて崩御。近衛府の管轄を左大臣藤原永手に、中衛府の統轄を右大臣吉備真備に委ね、女官吉備由利だけしか面会を許さなかった。光明皇后は阿弥陀如来の仏画と紐を結んであの世に旅立ったとされるが、称徳天皇も阿弥陀如来に祈っていたのだろうか?

おん あみりた ていせい からうん

 

称徳天皇の菩提を弔うために、菩提寺である西大寺に七重塔を建てる約束を、藤原永手が予算を削って破り五重塔を建てたために地獄に落ちたと死後噂されていた。

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