国際金融資本がつくる企業国家のもとで、世界がひとつになる。
大英帝国を支配した国際金融資本がアメリカ支配に乗り出した。
NWO理解のためのテキストを著したのが、ムッソリーニ。
ウィルソン大統領からフランクリン・ルーズベルト大統領までの顧問が、NWOのハウス大佐。
1.連邦準備制度(FRB)創設 アメリカ全国民を借金奴隷にする政策。
2.第一次世界大戦への参戦
3.ヴェルサイユ体制づくり(第二次世界大戦への準備)
ハウス大佐がパリ講和条約を起草して、各国首脳は署名しただけ
フランクリン・ルーズベルトがマルク安のドイツから略奪
4.国際連盟の創設
5.外交問題評議会メンバーをアメリカ大統領の国務長官に据える
フランクリン・ルーズベルトがNWOに殺されかけて、反日政策に反転した。
1937.12.12 パネー号事件
スタンダード石油のタンカーとジャーディン・マセソン商会の護衛船を日本海軍が撃沈した。蒋介石にロックフェラー社の軍事物資を運んでいたため。New World Orderのメンバーだった米内光政海軍大臣が大慌てで国民総懺悔。ジャーディン・マセソン商会は、長州ファイブをイギリス留学させたり、混血?の白洲次郎をケンブリッジ大学聴講生にして子飼いにしていた。みんな同じ傘下のメンバーだった。
1938.1.16 近衛声明「国民政府を対手にせず。」風見章が起草。
1938.2.17
防共護国団(代表;古賀清志)が政党本部を占拠し、挙国一致の一国一党樹立を要求。古賀清志は、風見章と山本五十六から報奨金を受け取る。
1938.2.26 モルガン、クーン・ローブ商会、ロックフェラー財閥のトップであるトーマス・ラモントがアメリカ大使館に書簡。支那事変後の日本を徹底的に攻撃することを指示。井上準之助はトーマス・ラモントの子分であり、デフレスパイラルを続けさせた張本人。
1938.3.24
近衛文麿、国家総動員法を成立。
1938.7.29-8.11 張鼓峰事件
1939.5.11-9.16 ノモンハン事件
河合敦>ただ、大本営や軍中央は、敵陣地への空爆は認めていないし、戦いの規模の拡大も赦していない。つまり、またも関東軍(満州国を守備する日本軍)が暴走したのである。
関東軍の暴走という表現はおかしい。二・二六や五・一五の皇道派陸軍将校は近衛子飼いの共産主義者であって、元来、皇道派陸軍と条約派海軍は昭和天皇の和平方針に忠実であって、NWOと通じていた艦隊派海軍が暴走した。統制派陸軍もNWOに通じていたが、東条英機は海軍インド洋制覇を達した後1942年早期の英国と停戦講和を模索していた。真珠湾攻撃の艦隊派海軍(親ソの米内光政と親米の山本五十六)の暴走で米国参戦を招いてしまい、その構想が吹っ飛んだが。世界規模の共産主義と反共産主義の衝突はNWOの傘下で起きた出来レース。両陣営ともNWOから軍資金を得ていた。この二つの事件(戦争)はソ連が仕掛けてきたもの。関東軍は応戦したにすぎない。ソ連軍の明らかな領土侵入に対し、張鼓峰事件は風見章・近衛文麿が関東軍の抑止に成功し、ノモンハン事件は関東軍抑止に失敗しただけのこと。対ソ北進を制止し、対支南進を促進したいと考える風見章・近衛文麿は、上海事変~支那事変には蒋介石(中国共産党の敵)との示談をぶっ潰して積極的好戦姿勢を貫いていた。風見章・近衛文麿は、スターリンや中国共産党と裏で話しがついていたのだ。蒋介石は、抗日のために国共合作したのではなくて、中共に拉致され殺されかけたので中共に無条件降伏した。蒋介石が援助を受けたアメリカもナチスドイツも同じNWOの手下だ。
1942.4.7,4.15
チャーチルがフランクリン・ルーズベルトに書簡。「日本海軍の西進を阻止してくれ。」
1942.4.18 ドゥーリトル空襲
ドゥーリトルが一か八かの東京空襲。日本海軍のインド洋進出を阻止。太平洋戦争に持ち込んだ。
憎きナチスドイツに落とすためにアインシュタインが不眠不休で開発した原子爆弾を、ナチスドイツに落とす予定がヒトラー自害で頓挫。人体実験として日本の無条件降伏を伸ばすようNWOが大本営に要請、非武装民の無差別殺戮の極値の兵器だった原子爆弾を日本に優先順位を付けて落としていった。
まとめ
プライドの高い近衛文麿は、ポッと出だと馬鹿にしたNWOを利用しようとして逆に利用されて、日本を滅亡に導いた。
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