皇帝菩薩と鋳銭司
502年 皇帝即位
梁 簫衍(武帝) 日没する処の皇帝菩薩
倭 倭薈(倭帝) 日出る処の皇帝菩薩(阿弥陀如来の再来)
扶桑 継体大王(のち倭京を急襲)
604年 遣隋使
倭帝は父殺しの煬帝を菩薩とは思っていなかったけれども煬帝をヨイショしたのでは?隋と対等外交を目指したのに、羅城も条坊制もなく、律法も通貨もないのはおかしすぎる。推古の小墾田宮は規模がトホホ過ぎる。当時の扶桑国は外交にやっと目覚めたばかりの赤ん坊。これじゃいかんと蘇我入鹿らが頑張ったのだろう。
隋 煬帝 日没する処の天子
倭 阿毎多利思北狐(上宮法皇) 日出る処の天子
扶桑 推古大王 with蘇我馬子
聖徳太子(梁の武帝の皇太子・簫統・昭明太子を憧憬)
607年
倭 倭京に鋳銭司を設置して、錫のない香春岳の銅を用いる。錫が混ざる長登の銅貨はもろい。新和同の「開」の字は唐に倣って離れている。
和同開珎(古和同)、萬年通寳、神功開寳を鋳造。
扶桑 法隆寺建立
618年 倭京にて観世音寺落成式(紅葉賀)
巨象やラクダが倭京を行列行進した。同年、大唐帝国建国。
670年 扶桑国(日本国)の法隆寺焼失。
680年 扶桑国(日本国)の法隆寺焼失跡に観世音寺を移築。
682年 扶桑国(日本国)に摧鋳銭司を設置。
古銭を摧いて(くだいて)、新しく銭を改鋳した。
| 固定リンク
最近のコメント