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2022年10月11日 (火)

通貨の歴史、鉄鋌、勘定奉行、大坂米市場

いま関心を寄せているテーマだ。

金や銀は高価すぎて、庶民の日常生活には不向きだ。そこでお手頃な価値の銭が登場するのだが、錫(スズ)を産出しない日本の銭は壊れやすくなかなか定着しなかった。銭がたくさん流通するということはそれだけ経済活動が活発だということであり、庶民の生活が豊かになり、さらなる仕事の意欲が沸いてくるというものだ。

倭国交易の通貨は、倭人が出稼ぎに出向き朝鮮半島で造られた、規格化サイズの鉄鋌(てつてい)。吉備くんや巨勢くんが倭人を守ってくれた。これを日本に持って帰って鉄塊(てつかい)とカスゴミである鉄滓(てつさい)に分離していた。鉄は武器には向いているが、錆びて朽ち果てるので蓄財には不向きだ。

通貨として使用されるにはいくつかの条件がある。罰則がなければまともな銭は流通しない、バックに絶大な(軍事)権力、政権が保証する信用性。清盛の宋で余った銅銭輸入、貫高制、石高制、金銀銭の三銭制、寛永通宝、元の紙幣、新大陸から中国に大量流入した銀による丁銀、出島(長崎中国人街)と虹口(上海日本人街)を結ぶぶっといパイプラインとそれを仲介する海商たち、お宝を奪う倭寇たち。正規の商船と海賊船が衝突して戦う。

米相場の高度な経済システム、元禄の萩原重秀、幕末の川路聖謨(かわじとしあきら)と小栗忠順に繋がる勘定奉行の歴史。

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