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2022年8月12日 (金)

徳政令

鎌倉時代に出された御成敗式目だが、ほとんどの人が後年追加された法令(式目)の存在を知らなかった。寺社と領地を争った地頭御家人ですら人づてに聞いて回るような有様だった。調停役の六波羅探題もそこまでの式目を知らず、双方が主張する式目をみて、眺めるだけであった。原告、被告自身が法令を探してきて提示しなければならないというのが鎌倉時代の訴訟調停の実態であった。

1.幕府の裁判は徹底して当事者主義を原則とし、証拠も自ら提出したものがすべてであった。

2.御家人と非御家人の区別は甚だ曖昧でしか幕府は把握していなかった。自ら御家人リストに先祖の名が書かれてある文書を提出して証明して見せなければならなかった。

*手紙というのは送り手ではなく受け手が保管するもの。送り手の幕府には写しすらほとんど残っていなかった。法令は手紙から推理するしかないが、誤植や改ざんが多いのだ。

法に上下なし。舌でも腕力でも、実力で相手を屈服させるのみ。

1284年、幕府追加法

1.引付頭人責任制

 審議漏達の罪は頭人の責任で処罰する。

2.所領興行法

 将軍から引付頭人に管轄を移す。古寺社修理を認め新造を禁じる。寺社領を回復し年貢用途をチェックし別当・神主の私用を禁じる。

 所領を知行する資格のない「非器の人(甲乙人)」から、所領を正当に知行できる「器量の人」に返す。

3.名主職事条々

 異国警固番役に従事した者の名主職を安堵し大量の新御家人を生んだ。

4.関東御領の回復

 非御家人が買った関東御領を御家人に取り戻した。

 

1285年、弘安8年法

亀山上皇が制定した公家法。「理屈」から「事実」へ。

律令制を鑑みて理屈をこねて、現実との格差があれば、新たな法で穴埋めするやり方を捨て、現実に即したやり方に変えた。公家が初めて庶民の生活に即した慣習法に目を向けた画期的な転換点であった。「旧例」「田舎の習」

神の物は神へ、仏の物は仏へ、民の物は民へ返すという大きな時代の流行がバックに存在した。これが徳政令の底に流れる「撫民」の精神となった。僧侶や神主の私物化を固く禁じた。

 

1297年、永仁の徳政令

ハレー彗星がきっかけとなって発令された。

1.所領の売り手が御家人であることに限って以下の法令を適用する。

御家人が買った所領は20年以上経過したものについては、売り手の取り戻しを認めない。

非御家人が買った所領は、売り手が取り戻せる。

2.越訴は禁じる。一審のみとする。

3.御家人の所領の売買および質入れを禁じる。

4.債権者からの債権取り立ての訴訟は一切受理しない。

「貸した金は自力で取り返せ。幕府は一切関知しない。」

 

訴訟ケース1

売り手A 田a+b → 買い手B

売り手A ← 金a 買い手B

徳政令によって金bは未払いなので売り手に田bを返す。

売り手A ← 金a+田b 買い手B

売り手A「金bをまだ受け取ってないので払え。」

つまり、「売り手A ← 金a+b+田b 買い手B」

買い手B「田bを返したのだから、金bは払う必要はない。」

幕府は買い手Bに軍配を上げた。売り手Aの二重取りを許さず。

 

訴訟ケース2

売り手A 人a → 買い手B

売り手A ← 金a 買い手B

幕府の裁定は、

人aが抵当(担保)なら売り手Aに返せ。

人aが入質なら個々の借用状の契約内容によって判断を下す。

 

訴訟ケース3

売り手A 田a → 買い手B

売り手A ← 米a、酒a 買い手B

幕府の裁定は、

買い手Bは田aを返す必要はない。徳政令は動産には適用しない。

 

1298年、徳政令の改正

御家人の所領の売買と質入れは認める。(建前を引っ込めて矛盾をなくす)

 

*馬借ネットワーク(運送ルート)

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1428年9/18、正長元年の徳政一揆

近江から醍醐に拡大。醍醐寺の満済が、

1.細川持元に醍醐寺警備を依頼

2.管領・畠山満家に状況報告

3.足利義教の許可を得て、侍所頭人・赤松満祐を山科に派遣

 *馬借や車借は当時のブラック企業であった。

11/2 近江の馬借が京に乱入。赤松満祐と対峙。

11/2 奈良・山城の馬借が奈良に侵入。興福寺僧兵と対峙。

11/6 播磨で徳政一揆。

11/17 赤松満祐、東寺に播磨荘園に守護不入権を犯して踏み込むことを通達。

京に徳政禁制を通達。

11/25 興福寺の徳政令

 伊勢で南朝・北畠満雅が挙兵する動きがあり、興福寺は板挟みを恐れた。

 1.債務の1/3の支払いでよい

 2.5年以上の債務は破棄

 3.年貢の未払い分は徳政の対象ではない

 

*中世の金融業者の本職は、荘園代官請負であった。

延暦寺下級僧侶公家雑役下人が担当した。

 12~13世紀 借上

 13世紀以降 土倉

延暦寺など金融業者は、承久の乱で、西遷御家人と新補地頭が大量に生まれ、好景気を迎えた。土地勘がない新補地頭に、代官(年貢徴収)代行しまっせと持ち掛けた。荘園年貢米保管のための耐火性にすぐれた土蔵を建造した。南北朝時代、一時的に不景気に陥ったが、すぐに景気回復した。

農民や公家・武家は秋10月にならないと収入がなく(年俸制)、5月ころに生活苦になったため、土倉からの貸付に依存していた。

13世紀末以降、土倉沙汰人(蔵預)は、地方に進出して合力銭(合銭)の運用を始めた。荘園領主相手に大きな取引をする都会の鞍預の進出で、地方の中小荘園代官がつぶれていったため。蔵預は荘園代官業をやめ、金融業に専念した。蔵預に運用資金を貸す「祠堂銭金融」が登場。祠堂銭金融は、民間銀行に金を貸す日本銀行と同じ存在であった。

 

足利義満

1.山名氏「六分の一殿」の勢力削減

2.南北朝合一。安心して商売ができるようになった。

3.土倉酒屋役。土倉と酒屋から幕府が税を徴収した。足利荘園からの税守護からの税(守護役)土倉酒屋役遣明船バブルが加わった。守護は京都で暮らすことが多くなったため、地方政治がおろそかになった。これがのちに下剋上の下地となった。

4.延暦寺雌伏。

 

足利義持

1.日明貿易中止で貿易バブルはじける。土倉酒屋役が幕府収入の頼みの綱になった。

2.祭祀儀礼の励行(五穀豊穣・戦勝祈願)

3.大飢饉

4.応永の外寇

5.日野栄子の浪費癖 年間20億円

6.1425年以降、民事訴訟は幕府が担当することに決めた。

 

足利義教

1.「諸人借物事」の制定。万里小路時房が起草。飯尾為種が中継伝達役となる。雑訴沙汰が担当した。

*奉公衆と奉行人

奉公衆 軍事を担当する武官

奉行人 政務を担当する文官

足利義教は合議制をやめ、将軍専制を目指し、評定衆や引付頭人を将軍直属機関として設けた。義教自ら訴訟判決に加わる御前沙汰を主宰し、奉行人のなかから御前沙汰衆を選抜した。

足利義政は奉行人を配下に置き、足利義尚は奉公衆を配下に置いた。1487年、悪政の近江守護・六角高頼を義尚自ら征伐し、多くの奉行人を自分の配下に就けることに成功。陣中で酒池肉林に溺れ病気に臥せ死去。同じく義政も脳梗塞で倒れ死去。

 

1441年8/28、嘉吉元年の徳政一揆

数万人が近江から京都へ伝播。馬借ネットワークが京都の情報を地方へ伝達した。侍所の兵は赤松満祐征討の為、出払っていた。侍所・京極持清が対峙。管領・細川持之は幕府軍編成に失敗。守護たちはみんな借金していたから一揆の様子を見守っていた。

9/10 室町幕府徳政令

1.永代売却して20年未満の土地は売り手に返す

2.寺社に寄進した土地、祠堂銭は返さない。

のち土倉や延暦寺が大打撃を受けるので猛反発。永代売買地は徳政令から除外された。

「徳政の大法」として後世まで、影響を及ぼし続けた。

 

1445年、分一徳政令

債務者に対し、負債額の一割を幕府に納める。奉行人はただひとりだけで、飯尾為数

1446年、追加法

幕府に債権の二割を納めれば、債権を保護してやる。債務破棄か債権保護かは早い者勝ちとする。

*幕府の主たる財源だった土倉酒屋役の収入が激減したので、この徳政令が編み出された。

*明は遣明船を制限したので、遣明船バブルは期待できなかった。

*犯罪人の住居を民間に売りに出して銭を稼ごうとまでしていた。

 

1455年、分一徳政改正令

1.分一銭は二割に引き上げる。

2.窓口は飯尾為数一人から20人に増員する。

3.すべて伊勢貞親の花押承認を要する。

義政の乳母父・伊勢貞親は、応仁の乱の最大の戦犯!!

 

1457年、土倉再建策、諸商売役

1.合銭(合力銭)に徳政を適用、返済無用となった。

2.諸商売役。土倉以外の商人に課税しまくった。

 

旧家臣団が京に潜伏、牢人となった。守護不入権をもつ京都近郊荘園に棲みつき、荘園住人たちと博打や飲酒に興じた。

1462年、寛正三年の徳政一揆

牢人が主導で、土倉と荘園の蔵を襲撃した。

1466年、文正元年の徳政令

応仁の乱直前で京に集まった兵が武具調達のために狼藉を働いた。罰すれば兵力低下になるので、土倉襲撃を承認した。荘園住人に対し、出陣すれば債務破棄を認めた。

*坂非人の徳政令

土葬が禁じられていた京中。遺体を車に積んで運んで清水寺坂に捨てていた坂非人が、その車をもらって販売して儲けていた。寺社が葬儀を担当するようになって坂非人は職を奪われたとして、寺社相手に徳政を要求。結局、勝訴して礼銭の形で寺社から銭を獲ることができた。

 

徳政令からの抜け道

誘取売券 永代売買地は徳政令の適用外。土地を貸したのではなく、売ったことにする契約書。

徳政指置状 徳政断念の礼として、最初から多めに金を払っておく証書。

徳政落居状 徳政の際、新たに金銭を払うことで当初の契約を再び確定する証書。

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