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2022年8月 6日 (土)

国衆(国人)

国衆(国人)

1 郡規模の領主で、領民から「殿」と呼ばれる。

2 平時は、大名の介入を受けない

3 戦時は、大名に兵を提供する

4 大名と起請文を交換し、大名に人質を提出して、契約関係を結ぶ

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国衆から戦国大名になったのは4氏族のみ。私が好きな真田昌幸は大名直前で秀吉につぶされた。

 徳川家康

 毛利元就

 長宗我部元親

 龍造寺隆信

 

室町時代から、郷村が年貢納入の最小単位であった。国人は、本拠地以外の郷村を飛び地的に支配していた。享徳の乱、応仁の乱を経ると、守護は京を捨て地方の古巣に戻り、国人は他の国人に飛び地を奪われ、領地がまとまり国衆となる。他国から国衆を武力侵略してくるものが出現し、これを大名(戦国大名)と称する。

大名の立場でものを考えよう。国人をみんな家臣にしてしまうと、平時に飯を食わせるのに金がかかりすぎる。だから国人の自治を認めて平時は泳がせておいて(生意気な奴は道端でどつく)、戦時に兵を供出させればとても経済的、コスパがいい!裏切った国人には人質の処刑が待っている。実際にはそこまでせず、恨まれて敵に回られたくないし味方に付いてもらいたいので、来るもの拒まず、棟梁の首を挿げ替える程度で済んだ。自分の鎧兜刀を準備できない村人は、鎧兜刀をレンタルして足軽歩兵を形成した。当時は博打が流行っており、農村から奪うはずの物品や、敵から奪うはずの鎧兜を担保に借金していた足軽は、糞尿垂れ流しの全裸~半裸で奮戦したのである。さきの戦争でも、戦闘機搭乗員は機内に糞尿を垂れ流していた!敗れた落人は傍観見物していた村人に身ぐるみはがされて殺された。

室町幕府から追討・治罰を受けた少弐氏は、幕府の支援を受けた大内氏によって守護大名から転落した。しかし、少弐氏は守護職を剥奪されても、国人を配下に入れて、領国化を維持し続けた。室町幕府ー守護体制といった単純な概念では説明できない社会現象が起きており、守護大名は領国全体を均質に支配・掌握できておらず、領国内でも精粗があって、国人の領内への浸透は困難であった。

筑前の渋川氏、少弐氏、板倉氏、吉見氏、小早川氏は、(ときに対馬の宗氏を配下に据えながら)熱心に日朝貿易をおこない、薩摩の島津氏は熱心に琉球貿易をおこなった。大内氏、細川氏、大友氏、島津氏は日明勘合貿易にも熱心であった。

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