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2022年8月 9日 (火)

元寇後の九州武士の動向

元寇を戦ったのは主に九州の武士団でしたよね。恩賞がないことに不満で鎌倉幕府が倒れたと日本史教科書に記述があるのに、具体的にもっと詳しく載せないのはなぜだろう?ぜひ記載すべきだ。治天の君が加持祈祷し、男たちが弓矢と糞尿弾で戦っているあいだ、せっせと「てつはう」の原料、硫黄を元に輸出していたのが女院たちだった。

元寇後の歴史舞台は関東でもなく京都でもなく九州だった。

九州の武士団は、倭国時代からの古豪・海賊水軍、源平合戦の平氏落武者、鎌倉幕府から平氏落武者狩りで恩賞求めて派遣された東国御家人たちで成っている。非御家人というより誰かさんを中継して鎌倉幕府とは弱い御家人関係で結びついている武士が多かった。だから幕府のほうでも具体的に誰がどの程度元寇で戦功を挙げたのか把握できていなかったというのが正しかろう。「そんな奴いたっけ?ちょっと行って調べてこい。」

御恩奉行の安達泰盛が霜月騒動で殺害されたことは大きかった。殴り合って仲良くなった北条と名越の兄ちゃんがそのあと、のこのこ大宰府にやってきたのもまずかった。「ほら、やっぞ。」と、空腹で死にそうになっている武士たちに来るべき元寇に備え再動員命令。これは効いたね。そこへ後醍醐の親王が漂着した。あとは倒幕しかないっしょ。「尊氏、がんばって京へもどれ。」

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