元寇のインパクト
神道だけじゃダメだったのか、亀山上皇は真言密教にかぶれ護摩壇を築き、元寇調伏の呪詛を総力戦で何度も何度も行った。神風が吹き、その密教かぶれの情熱は、同じ大覚寺統の後宇多上皇に引き継がれ、そして、あの後醍醐天皇へと引き継がれていったのではないか。文保の和議に違反し、約束の10年を過ぎても譲位しなかったのは、国難に立ち向かえるのは自分だけだという最強マン自負が強すぎたのではないか。
国難に怯える庶民も、当時の仏教界最高峰の叡尊はモンゴルも追い払えないのか、非力だとして非難の的にするし、阿弥陀にすがり亡国後の来世に望みをかける親鸞や、他宗攻撃をつづける超能力者・日蓮の登場で全国的にパニックになっていた。
御家人への報酬がなくて、その不満が鎌倉幕府倒幕運動につながったのはよくある教科書記述。北条氏による他氏排斥も完成したばかりで、得宗もこどもが担当するわで、朝廷のゴタゴタを幕府は極度に嫌っていた。江戸幕末も全国大名はほとんど徳川松平の血を受けた養子ばっかりだったのと似た状況だ。
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