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2022年7月 1日 (金)

来春の宝塚歌劇月組公演

芝居が「応天の門;若き日の菅原道真の事」

菅原道真は、845年~903年に生存。在原業平(平城の孫)は、825年~880年に生存。

応天門の変、866年(貞観8)。これ、関係ないのかな?道真は22歳、業平は42歳だが。原作漫画はよくわからない。

桓武天皇の子、父母を皇族に持つ皇子が3人、平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇。810年(大同5)薬子の変で平城系の皇子は落選。嵯峨系の皇子は精神的に病んでいて無理。桓武の構想では健全な淳和系の皇子に流れるのがスジだったが、藤原氏によって待ったがかかる。842年、嵯峨天皇の死後、さっそく承和の変(皇太子問題)が勃発。淳和系から嵯峨系に差し戻されたのが文徳天皇。

皇族以外の太政大臣就任、摂政就任は藤原良房が史上初。

摂政は推古天皇のときの聖徳太子以来、二度目。

元服前のこどもが天皇に即位したのは、清和天皇が史上初。

故・父帝 文徳天皇

皇太后 藤原明子(あきらけいこ)

女御 藤原多美子(たみこ)←藤原良相の娘

ここに二人の外戚が絡む。最大権力者の藤原良房に男子後継者がいなかった。

藤原良房 太政大臣

その養子・藤原基経 参議

さらに、4人が絡む。

源信(まこと) 左大臣 ← 変後急死。伴善男の呪い?

藤原良相(よしみ) 右大臣 ← 変後急死。伴善男の呪い?

伴善男(とものよしお) 大納言 ← 現場たたき上げ官人

藤原順子(のぶこ) 太皇太后

 

幼帝・陽成天皇の後見人として清和上皇が立てなかった。(平城上皇のときに上皇権力が剥奪されたため)そこで藤原基経を摂政に据えた。15歳で殺人を犯した陽成天皇が廃位され、光孝天皇に譲位。光孝源氏だった源定省が皇族復帰した宇多天皇のとき藤原基経が関白(内覧)就任。菅原道真が内覧(太政官の奏上を前もって吟味する地位)という職務を定義づけた。阿衡事件で宇多天皇側近の橘広相を失脚させた。

宇多の寛平の治。藤原時平と菅原道真の登用し二人に内覧の権限を与えた。醍醐のとき、道真失脚。醍醐も時平も急死。朱雀のとき、道真と親しい藤原忠平が摂政→関白就任。朱雀が元服すると復辟の儀を経て摂政を廃して関白を任命。

 

ショーが「Deep Sea; 海神たちのカルナバル」、やっぱりきたよね、ラテンショー。ラテン系ダンサーが月組に溢れている。海乃美月、天紫珠李、結愛かれん、羽音みか、きよら羽龍、菜々野あり、美海そら、蘭世惠翔、ほかにもまだまだラティーナが月組にいる。

暁千星くんが抜けちゃったし、豊富なアマゾネス軍団を月組男性陣が相手できるのか心配だ。留依蒔世くんとかマイティとか、体幹マッチョな男役補強が月組に必要では。

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