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2022年6月 5日 (日)

高島城、諏訪湖を訪ねて

京奈和自動車道、京滋バイパス、名神高速、中央道を車で走って、諏訪に行ってきました。ここは出雲の国譲りで大和に逆らい敗れたタケミナカタ(建御名方)の亡命先です。

まず「諏訪の浮城」と呼ばれている高島城をみました。諏訪は、「縄文のビーナス」をはじめ、縄文文化が栄えた地であり、大祝(おおほおり)と呼ばれた現人神が支配していました。鎌倉時代に、宗教色の強い上社(かみしゃ)と政治色の強い下社(しもしゃ)に分裂。

上社 本宮と前宮を諏訪氏が禰宜

下社 春宮と秋宮を金刺(かなざし)氏が禰宜

諏訪氏は治承寿永の乱で、頼朝方につきました。金刺盛澄が頼朝の怒りを買い斬首されかけましたが、鶴岡八幡宮で披露した流鏑馬で命拾い。

中先代の乱では、諏訪頼重・時継が北条時行につくも足利に敗れて自害。諏訪氏は以後、南朝方につきました。

下社は、はやばやと室町幕府に恭順し、小笠原氏とタッグを組んで上社と対立。

1449年(文安6)、諏訪氏が金刺氏・小笠原氏に勝ち、下社を放火焼失させました。

1518年(永正15)、諏訪頼満が金刺氏を滅ぼしました。

1535年(天文4)、諏訪頼満が武田信虎と和睦。

1542年(天文11)、武田信玄に攻められ、諏訪頼満自害。

1549年(天文18)、武田家臣・長坂虎房が高島城を築城。

1582年(天正10)、織田信忠が武田勝頼を自害に追い込む。上社も放火により焼失。信長家臣・河尻秀隆が諏訪を治めることになりました。

1582年(天正10)、本能寺の変で、諏訪頼忠が高島城を奪還。

1590年(天正18)、諏訪頼忠が武蔵に転封。秀吉家臣・日根野高吉が諏訪を治め、高島城を堅固に改築。

1601年(慶長6)、日根野氏が下野転封。諏訪頼水が諏訪大祝に復帰。

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最後に、諏訪湖遊覧船に乗りました。諏訪湖は縄文時代から石製矢じりで魚を獲っていたようです。

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