秦野裕介教授「日本史オンライン講座」聴講
いまの京都は、室町幕府がつくったといっても過言ではありません。
酒浸りの室町幕府 貞成親王の看聞日記で読む将軍や貴族たちの飲酒【研究者と学ぶ日本史】 - YouTube
室町時代、京都の人々は酒をどのように楽しんでいたか【研究者と学ぶ日本史】 - YouTube
松本恵司先生の講座
室町将軍たちの酒宴、当座会(嘔吐)が座興の凄さ【チャンネル相生の日本史】 - YouTube
室町幕府を一言で評すると、「酒」
酒に対して、無節操・享楽的・退廃的。
なかなか面白い。
足利義教は後小松大嫌い、貞成親王大好き。貞成の実子・後花園は下戸だった!とくに唐酒(老酒)が嫌いだったそうだ。
貞成親王(伏見宮)の妻、庭田幸子(醍醐源氏)が催した女子飲み会で人事が決まっていったそうです。
宴座(直会)から穏座(解斎)を経て当座会(嘔吐)へ。一献は盃三杯、いまも「駆け付け三杯」として残る。吐いてしまったら次の飲み会の幹事にならなければならない。
義教は、鮭昆布公事(鮭昆布販売特許)を憎き北朝・光範門院(後小松の妃)から取り上げ、南朝・直明王に与えて所領問題で言うことを聞かないため再び取り上げ、貞成親王に与え、多くの京商人が伏見宮に出入りした。鮭も昆布も酒の肴にとってとっても重要だ。
酒屋土倉役は、延暦寺がもっていた。
ほかにも元寇の少弐氏、義時がつくった平氏朝廷、園城寺など、ものすごく勉強になっています。
一番人気の古代史に関しては畿内説オンリーで、その理由が考古学への取り組み方が地道で学問的だかららしいのですが、九州説の学者さんがおっしゃるには、畿内説の学者さんは記紀や万葉集をきちんと読んでなく、聖徳太子を否定していきなり蘇我氏に小突かれていた推古から日本史が始まりますし、筑豊の新制中学校校庭で昭和30年ころ発見された「三種の神器」を非公開でどこかへ隠すやら(証言多数)、不都合な弥生式遺跡発掘現場にコンクリートを敷いて柱をぶちこんで高速道路を建設したり、あまりにも証拠破壊隠滅がひどいと思うのですが。九州説は発掘予算マンパワーも弱く、畿内説よりはるかにハンディキャップがあります。また神社が有している社伝に歴史的価値が全くないとおっしゃればそれまでですが。
| 固定リンク
最近のコメント