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2022年5月12日 (木)

映画「楊貴妃Lady of the Dynasty」をみて

楊貴妃自身が外戚・楊国忠を重臣に招き入れたのではなく、玄宗皇帝(李隆基)自身が楊国忠を招いたと描かれていた。

705年 則天武后死去

713年 太平公主死去

2大女傑が去ったあと、武氏に対する警戒心を寵愛の力で抑え込んで実力をもったのが武恵妃。その実子である李瑁(りぼう)を皇太子に据えるため、ほかの皇子たちを謀反の嫌疑をかけて殺した。

737年 武恵妃死去

陰謀が皇帝にバレて武恵妃は自害。李瑁は失脚。李瑁の嫁であった楊貴妃は、義母の処刑にも近い死に衝撃を受け、道観にこもった。玄宗皇帝は、李瑁から楊貴妃を奪うべく、騎馬軍団をなして再三にわたり道観に赴く。楊貴妃は玄宗皇帝の心根に打たれて宮廷に帰還。ところが、皇子たちが楊貴妃の実子を疎ましく思い、そんな状況を察知して楊貴妃自身が柿蔕エキスを常飲して避妊していた。

755~763年 安史の乱

皇子が率いる軍隊が、楊貴妃の自害と引き換え条件で、長安から四川に逃げ延びた玄宗の護衛をしたため、楊貴妃が玄宗に抱かれながら自害した。

ビザンツ帝国使者の目線から大唐帝国の栄枯盛衰が描かれていたのが新鮮でよかった。

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