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2021年9月 2日 (木)

ローマ教皇とフィレンツェ共和国

ボニファティウス8世(1294~1303)

 フランス王フィリップ4世は英仏百年戦争遂行のため、聖職者に課税し、教皇庁への献金停止。1303年、アナーニ事件で教皇を捕囚。1309年、傀儡教皇クレメンス5世(1305~1314)をアヴィニョンに幽囚。1311~1312年ヴィエンヌ公会議にて、テンプル騎士団の私有財産を没収し、団員を火刑に処した。

アヴィニョン派 フランス傀儡教皇

ヨハネス22世(1316~1334)

ベネディクトゥス12世(1334~1342)

クレメンス6世(1342~1352)

 1348年、ペスト大流行。

インノケンティウス6世(1352~1362)

ウルバヌス5世(1362~1370)

グレゴリウス11世(1370~1378)

 1376年、アヴィニョンを去りローマに帰還。

 

教会大分裂(シスマ) 1378~1417年

ローマ派 ウルバヌス6世(1378~1389)

アヴィニョン派 クレメンス7世(1378~1394)

 

1409年、ピサ公会議でローマ派とフランス派の枢機卿が集って、独自の教皇を選出した。

ピサ派 アレクサンデル5世(1409~1410)

 

ドイツ王ジギスムントの提唱で、

1414~1418年 コンスタンツ公会議にて教会大分裂(シスマ)終結、フス火刑。

ローマ派 グレゴリウス12世(1406~1415) 正統

ピサ派 ヨハネス23世(1410~1415) 異端

アヴィニョン派 ベネディクトゥス13世(1394~1417) 異端

以後、ローマ派に教皇が統一された。

マルティヌス5世(1417~1431)

エウジェニウス4世(1431~1447)

 それまで異端とされていたフィレンツェのルネサンス文化をローマへ移入。

ニコラウス5世(1447~1455)

 1453年に滅亡したビザンツ帝国文化をローマへ継承移入した。同年、英仏百年戦争終戦。

カリストゥス3世(1455~1458)

ピウス2世(1458~1464)

パウルス2世(1464~1471)

 ヒューマニスト(人文主義者)と対立し、ローマアカデミアを異端として反動的に廃止した。

シクストゥス4世(1471~1481)

 ローマルネサンスを再興。

インノケンティウス8世(1481~1492)

アレクサンデル6世(1492~1503)

 1493年、新大陸をトルデジリャス条約でスペイン領とポルトガル領に二分した。

ピウス3世(1503)

ユリウス2世(1503~1513)

レオ10世(1513~1521)

 1521年、ルターを教会破門。

 

フィレンツェは、ランゴバルド王国の支配を受け、カール大帝によってフランク王国が支配し、のち神聖ローマ帝国のトスカーナ辺境伯が支配していた。1057年、ルッカからフィレンツェに遷都。マティルダ女伯(1069~1115)は夫婦仲が悪く教皇に傾倒。カノッサの屈辱の調停で名声を得た。

1085年、ピサが帝権(ハインリヒ4世)から自由都市宣言、コンスル設置。

1115年、フィレンツェが帝権(ハインリヒ5世)から自由都市宣言、コンスル設置。12人のコンスルと100~150人の評議会。

1183年、ロンバルディア同盟(北イタリア諸都市)が帝権(フリードリヒ1世)から自由都市宣言。

貴族は、ゲルフ党(教皇派)とギベリン党(皇帝派)の権力争いがあり、ゲルフ党はナポリ王とフランス王と同盟、ギベリン党は神聖ローマ帝国と同盟した。ギルド(アルテ)は中立的自治組織(ポポロ)を組織した。ゲルフ党が実権を掌握し続けた。

1277年、ヴィスコンティ家がミラノ大司教を経てミラノの僭主となる。帝権(ルドルフ1世)から自由都市宣言。

1282年、シチリアの晩鐘事件。シチリア島民が、アラゴン王ペドロ3世の援軍を受け入れ、フランス・アンジュ伯シャルルに対し反乱し勝利。

1302年、両シチリア王国が分裂、カルタベロッタの和平。シチリアはアラゴン領、ナポリはフランス・アンジュ伯領となる。

フランスの支配から解放されたフィレンツェは、ゲルフ党支配を退け、上層市民によるポポロ体制を敷く。1293年、「正義の規定」制定され、ギベリン党とゲルフ党ともに貴族を公職追放した。「正義の騎手」という執政長官を創設。1324年、貴族公職追放が緩和された。

急進派の黒党(ドナーティ家)と穏健派の白党(チェルキ家)の闘争。黒党は、ギベリン党支配のピサへの参戦を主張、白党が反対。

1300年、ボニファティウス8世の勅命で、フィリップ4世の弟ヴァロア泊シャルルがフィレンツェの黒党を支持し、白党を逮捕・処刑・財産没収した。

1301年、白党のダンテが死刑を逃れフィレンツェ追放、ラヴェンナにて「神曲」を著す。

1310年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世がフィレンツェ侵略し、ポポロが対抗処置としてナポリ王を僭主(シニョーレ)に頂いた。

1328年、神聖ローマ帝国の脅威が去り、共同出資者によるコンパニーア(商会)を新たに設立した。バルディ商会、ペルッツィ商会、アッチャイウォーリ商会、チェルキ商会、スピーニ商会、デルベネ商会、バロンチェッリ商会が乱立。

カリマーラ商人がフランドルから半完成布を輸入し、オリエントの染料と明礬を使用して、フィレンツェで毛織物業が繁栄。

1340年代、ピサやルッカとの戦争で疲弊し、コンパニーア倒産。

1348年、ペスト大流行。

1375~1378年 八聖人戦争。飢饉のための小麦要求が却下され、教皇グレゴリウス11世と戦争するも敗戦し、多額の賠償金を下層市民が背負わされた。

フィレンツェは、ローマとピピン寄進地ラヴェンナの挟まれた地であった。コンスタンツ公会議でローマ教皇の力が強くなったため、ローマと良好な関係を保つことが国家維持にとり必要となった。メディチ家はローマで銀行を営み、ヨーロッパ全土の教会税を吸い取っていたと言える。フィレンツェ共和国は、天然資源に乏しく、交通の要所に位置するので、加工産業と貿易に国庫依存していた。

最高協議会9人(司法長官1人、大組合代表6人、小組合代表2人)

2か月おきに抽選にて改選された。ギルドメンバー300人から成る民衆評議会2/3以上の賛成を得なければならない。

1378年、多額の賠償金を負担させられたチオンピの反乱

チオンピ(梳毛業者)が平等なギルドを要求したが、大組合により鎮圧。

1382~1434年 アルビッツィ家による寡頭支配時代

アルビッツィ家が実権を掌握した。大組合のメディチ家は小組合の憤懣を同情吸収して権力を増していった。

1395年、神聖ローマ皇帝ヴェンツェルの庇護下、ヴィスコンティ家がミラノ公国を建国。

1427年、司法長官ジョヴァンニ・デ・メディチは大組合に累進課税し、小組合の支持を得た。

1433年、コジモ・デ・メディチが政敵アルビッツィ家の陰謀で死刑宣告されるも、賄賂で10年間国外追放罪に減刑。

1434年、コジモ・デ・メディチが復権、最高評議会より歓迎された。アルビッツィ家を弾圧処刑。

1442年、アラゴン王アルフォンソ5世がナポリ王国をフランス・アンジュ伯から奪取し、シチリア王国と合わせて両シチリア王国を建国。

1450年、ヴィスコンティ家の傭兵隊長フランチェスコ・スフォルファが共和国宣言し、ミラノ公国を簒奪。

1454年、ローディの和。オスマン帝国の脅威に対抗してイタリア五大国(ローマ、ヴェネツィア、ミラノ、フィレンツェ、ナポリ)がイタリア神聖同盟を結成した。

1458年、プロパガンダにより抽選選挙を廃止し、政敵を投獄。「市民集会(バリア)」を開催し、メディチ家独裁体制を確立した。

1466年、ピエロ・デ・メディチが教皇パウルス2世から教皇領内の明礬鉱山の発掘・販売の独占権を獲得。彫刻家ドナテルロを保護。

1470年、プラートの反乱

1471年、ヴォルッテラ暴動事件。明礬鉱山発掘権をめぐり住民を殺害。

1478年、ロレンツォ・デ・メディチ、メディチ銀行ミラノ支店閉鎖。

1478年、ロレンツォ・デ・メディチが商敵パッツィ家の陰謀で暗殺未遂。教皇シクストゥス4世が手引き。

1479年、ナポリ王フェッランテ王仲介とオスマン帝国策動により、ロレンツォ・デ・メディチはシクストゥス4世と和議。芸術家を外交パンダとして使用した。

1479年、ロレンツォ・デ・メディチ、メディチ銀行アヴィニョン支店閉鎖。

1480年、オスマン帝国がオトランタ攻撃。トルコ商人が幅を利かすようになり、イタリア全土が不況になる。

1480年、ロレンツォ・デ・メディチ、メディチ銀行ロンドン支店とブリュージュ支店閉鎖。

1481年、ロレンツォ・デ・メディチ、メディチ銀行ヴェネツィア支店閉鎖。

1483年、ロレンツォ・デ・メディチ、メディチ銀行リヨン支店閉鎖。

1494年、フランス王シャルル8世が第一次イタリア戦争。ピエロ2世・デ・メディチが降伏し国外亡命。

1494~1498年、ロレンツォ・デ・メディチの死に水をとった修道院長サヴォナローラがフランスと和議を結び、独裁。

1499年、フランス王ルイ12世が第二次イタリア戦争でミラノ公国征服。

1512年、教皇軍、アラゴン王国軍がフランス軍を駆逐し、フィレンツェ傀儡政権としてメディチ家を据えた。

1532年、神聖ローマ皇帝カール5世の庇護のもと、アレッサンドロ・デ・メディチがトスカーナ大公に任ぜられ、共和政廃止、僭主政となる。

1537年、アレッサンドロ・デ・メディチがメディチ家に暗殺され、コジモ1世・デ・メディチが僭主に就任。メディチ家の長期政権となる。

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