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2021年8月 5日 (木)

中世ヨーロッパ軍

騎士道とは一獲千金のゲームルールであった。戦争捕虜の釈放で儲けることが最大の目的。

英仏百年戦争で国対国という大規模な戦争になって、近所の喧嘩戦法では済まなくなった。1445年、フランス国王シャルル7世が常備軍を創設。平時にも常備軍を食わせるには莫大な金が必要になる。そのためには中央集権国家であることが必要、国家官僚に税金の再分配をおこなわせる。

大将同士の一騎打ちがなくなり、大将は最後尾の安全な陣地で指揮を執るように変化した。

攻撃の騎兵の装備は自腹が基本。それぞれの家庭の経済事情によって分けられた。守備の歩兵(*)は重要視されておらず、農奴の放蕩息子が担当しており、国王が武器を貸し与えていた。しかし1450年ころからは敵前逃亡しない鍛錬歩兵を提供してくれるということで、貧乏国の苦肉の策だった、スイス傭兵イタリア傭兵会社が一手に引き受けるようになった。彼らはイタリア戦争で実績を積んでいった。

*マケドニアは愛国心あふれる長槍密集歩兵部隊を所有統率できていたので強かった。

歩兵の弱点であるサイドとバックを騎兵が護衛する。

国王はおもに騎兵を徴集にかけ、装備が手抜きの封建領主に対し、見せしめとして免税の特権を剥奪するというペナルティを与えた。

騎兵

1 重装騎兵 長槍と剣をもって武装軍馬に騎乗

2 軽装騎兵 駄馬に騎乗、重装騎兵を援護

3 長弓兵・石弩兵 驢馬に騎乗、馬から降りて矢を射て投石する

歩兵

1 長槍兵 敵の騎兵隊を潰す

2 矛槍兵 接近戦を担当、長槍兵の弱点である足元を護衛する

3 砲兵 投石器(カタパルト)→火縄銃→カルバン砲→カノン砲と技術革新していった。

16世紀後半、マスケット銃が登場。マスケット銃兵が長槍兵の弱点を護衛し、長槍兵にとってかわった。マスケット銃の前では、甲冑は無意味となった。重装騎兵は姿を消し、軽装騎兵のみになる。軽装騎兵の役割は、偵察、護送車の警備、敵の急襲、敵の補給路遮断、敵の追撃・虐殺。

三十年戦争(*)で、スウェーデン王グスタフ・アドルフが長槍兵とマスケット銃兵を組み合わせた大隊(連隊)を発明。青色連隊・黄色連隊・赤色連隊・緑色連隊。クジ引きで徴兵し愛国心あふれる国民兵団を有していたので強かった。

*簡単に言えば、カトリックが寄ってたかってプロテスタントを虐殺した戦争。フランスはカトリックなのだが、ユグノーの聖地でもあり、プロテスタントにも理解があった。そこが狂信的なカトリックであったスペインと異なる点だ。ユグノーがフランス経済を支えた

こうして歩兵中心の戦闘に変わると、騎士道精神をもつ貴族の特権意識が時代錯誤とみなされるようになった。名を馳せた歩兵団は、

スイス歩兵→ランツクネヒト(南ドイツ)→テルシオ(スペイン)→ヘッセン(ドイツ)

マスケット銃は数時間練習すれば使えるようになり、マスケット銃兵の価値は二束三文となり、財政困難の国家からは歩兵の給与がどんどん削られ、16,7世紀には常備軍は姿を消した。ヴァレンシュタインをはじめ、大資本家が軍を徴募した。

大砲に対抗するため、要塞を建設。敵は塹壕を開削した。五稜郭は、敵の砲兵隊を近づけないためのもの。

1650年ころ、銃剣の登場。銃口に剣を挿入していたが、1720年ころ、銃身に環状剣を取り付けた。点火システムが火縄や火打石から薬莢に進化。

1690年ころ、国家が常備連隊を所持、官僚が運営。標準化した武器と軍服を提供。クロムウェルの新式軍隊は赤色統一色を採用。

イギリス 赤色

オーストリア 灰色→白色

プロイセン・スウェーデン 青色

フランス 白色(ブルボン朝)→青色(革命以後)

ロシア 緑色

ルイ14世(太陽王)の時代に孤立した超大国となり、神でなくフランスの栄光を高めるために対外戦争をおこなった。スペイン継承戦争(1701~1713)が最大。1682年、四か条の宣言でローマ教皇からの独立を宣言した。1693年、戦争孤立を避けるため四か条の宣言を撤回した。

カルーゼル(騎馬パレード)

ヴェルサイユ宮殿 諸侯はヴェルサイユに参勤交代したので反乱を起こせなかった

バロックダンス

リュリ 《アルミッドのパッサカリア》 Lully 《Passacaille pour une femme》 - YouTube

ヴォーバンがネーデルランド国境に要塞網を建設。ブラバンド防衛線・リール防衛線・ラパッセ防衛線

テュレンヌ 名将

ヴィラール 名将

ヴァンドーム公 名将

ベリック公 名将

ヴィルロワ 愚将

ブルゴーニュ公 愚将

対する英墺軍には名将二人。

イギリス マールバラ公チャーチル

オーストリア オイゲン

将校は貴族出身で特権を賦与されたが、下士官以下は劣悪な処遇を受けた。18世紀の軍拡政策により、くじ引きで強制的に徴兵した民兵を併用した。長槍兵は消滅し、発砲しやすいように縦深陣形から横隊線形陣形に変化。将校の道具に徹し、集団訓練を重視した。並足の行進により行軍用の柱状縦隊から戦闘用の線形横列に展開可能となった。

圧倒数の銃剣歩兵の周囲を、

胸甲騎兵(*)(サーベル突撃)

竜騎兵(*)(騎乗火縄銃兵)

軽騎兵(偵察と掠奪) ロシアのコサック人、オーストリアのポーランド人(ウラーン)・クロアチア人(パンドゥール)・ハンガリー人(ユサール)・アルバニア人(ハミディ)が担当。

砲兵(軽量カノン砲と多数の軍馬を擁する)

*清教徒革命のとき議会派は竜騎兵を採用、王党派は胸甲騎兵を採用し、しばしば胸甲騎兵が竜騎兵に勝利をおさめた。

Burschen heraus(大学生よ、今こそペンを置いて国家のために兵に志願しようぜ!)

Studentenlieder - Burschen Heraus - YouTube

18世紀半ば、士官候補生養成学校が設立される。砲兵科(*)と工兵科の将校養成を目的とした。*ナポレオンも一学生。軍需品補給を確保する官僚がつくられ、無差別の略奪は軍律にて禁止された。正確な地図作成、道路の整備が重要な任務。

革命フランスは義務徴兵制を採用し、巨大な常備軍を維持した。

ナポレオンやイギリスは、ライフル銃を採用し軽装歩兵に装備。散開戦術を繰り広げた。保護色の緑色軍服を装着した。

ナポレオンといえば、散兵と攻撃縦隊

1775年4月19日 コンコードの戦い(アメリカ新大陸)

アメリカ民兵(ミニットマン)とイギリス正規軍の戦い。集団訓練を受けていない独立自由なミニットマンが自由奔放に射撃してイギリスに圧倒的勝利した。ミニットマン側に付いて実戦経験したフランス将校・下士官がフランスに帰国して集団訓練が未熟なフランス軍に散兵を導入した。目の前に展開している敵は「密集横隊で歩くマスケット銃」のおもちゃだった。

大隊縦隊が敵線に突入するとき、散兵は常時ペアで行動し家屋や生け垣を盾にして敵の射撃を絶え射撃を継続し続けた。この瞬間は大隊縦隊からは射撃できなかったからである。散兵は遊撃兵中隊として大隊に編成された。将校から一兵卒まで150cm以下の低身長の若者が選ばれた。

エリート軽歩兵は擲弾兵中隊として大隊に編成された。高身長の若者が選ばれた。

1775年12月4日 ロイテンの戦い(七年戦争)

フリードリヒ大王が斜行隊形を編み出し、正面から側面に移動しながら最前線が攻撃した。

ナポレオンとネイが組めば手が付けられなかった。ネイ元帥の参謀長ジョミニが著した「戦争術概論」を高野長英が翻訳し、長州藩の大村益次郎が下関砲撃後即座に採用しミニエー銃を携帯させ訓練を開始した。幕府はフランス軍事顧問団により歩兵隊・伝習隊といった洋式部隊を編成したが運用するためのソフトを持たなかった。昨今、幕府の偉業だと世論は持ち上げているが実態は全く使い物にならなかったのである

ナポレオンの基本訓練は、縦隊から方形陣への変換、横隊から縦隊への変換、縦隊から横隊への変換。エジプト遠征では、マムルーク騎兵に対して方形陣へ迅速変換させ勝利をおさめた。

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1800年6月 マレンゴ会戦(第二次イタリア遠征)

ランヌ軍団

ドゥゼ軍団

ヴィクトール軍団

ミュラ軍団(騎兵予備隊)

砲兵

工兵

親衛隊

1802年5月~1805年5月 ブローニュ宿営(対英戦)

カレー・ドーバー間に海底トンネルを開削!

良き軍事演習になった。兵がしっかり鍛えられた。

1803年8月 テレグラフ信号(腕木信号)通信網が完成

フランス神父クロード・シャップ&スイス時計職人アブラアム・ルイ・ブレゲが1793年に考案。

パリ~ブローニュ間304km

1805年8月26日、皇帝ナポレオンがグランドアルメ(大陸軍)の編成を命じた。

第一軍団 ベルナドット

第二軍団 マルモン

第三軍団 ダヴ

第四軍団 スルト

第五軍団 ランヌ

第六軍団 ネイ

第七軍団 オージュロー

騎兵予備 ミュラ

 

海軍 地中海はガレー船(軍船)、北海は丸形船(商船)。

海軍の任務は各地に配置した陸頭堡を拠点に陸軍を運搬すること。

大型のガレー船であるガレアス船に多数の大砲を積載。大西洋横断用三本マストのカラベル船が軍用に改良されて、ガレオン船登場。多数の大砲を積載。しかし砲撃が主力となることはなく、衝角による衝撃と接舷の操作によって勝敗が決定した。

18世紀になると高速軽装のフリゲート艦が主力に変わり、イギリス・フランス・オランダが競い合って採用し、世界征服に使用された。

 

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