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2021年7月23日 (金)

北魏

宦官のせいで後漢滅亡、魏・呉・蜀の三国時代になる。ヤマト国女王・卑弥呼と台与が魏に使節を送り朝貢した。司馬懿の策で魏が曹氏から司馬氏に奪われ、晋を建国。司馬氏同士の内部抗争で皇帝候補になる王がほぼ全員死亡、五胡の力を借りて親戚をやっつけようとしたために、異民族が華北に乱入。晋はあっけなく滅び華南で東晋として生き延びる。ヤマト国に取って代わった倭国は、華北は自分と同じ夷、華南こそ宗主国と考えて宋・斉に使節を派遣し朝貢を続けた。斉の東昏侯が鬼畜で、それを討った蕭衍が梁を建国、武帝に即位し仏教に帰依し、自ら菩薩天子となりしばらくの間平和が訪れる。平和でいられたのは華北の北魏が東西分裂して、そのパワーバランスが微妙に効いていたから。528年、倭王・倭薈が扶桑国大王・継体に殺害される。倭京急襲前夜に詠める歌;夜を込めて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関は許さじ 継体および二王子は倭国の反撃に遭って敗死。

547年、侯景の乱で梁が亡ぶと、陳霸先が宇宙大将軍・侯景を殺害し、弱小国陳を建国。宇宙大将軍鎮圧のために働いた梁の諸侯は独立割拠していたもので。愚君悪政の陳が狭い領土でほそぼそ生き延び、北周を乗っ取った隋によって滅ぼされた。隋の煬帝は父殺し、兄殺しの鬼畜であった。

華北は五胡が血みどろで争う不毛の地と化した。羯の石勒が張賓とともに治めた後趙、氐の符堅が王猛とともに治めた前秦が華北統一したが、ほどなく分裂崩壊。鮮卑の拓跋珪(道武帝)が崔浩とともに治めた北魏が華北統一を果たす。外戚で国が亡ぶのを防ぐため、北魏では皇太子を産むと死を賜った。太武帝は寇謙之とともに道教を国教とする。文成帝の皇后であった馮太后(文明太后)が、その子・献文帝とのあいだに子づくり。孝文帝を産むが自ら死を受け入れず、献文帝を毒殺して孝文帝の垂簾政治を行う。これが善政であった。仏教を厚く保護した。(太字は漢民族)

均田制

三長制

次の二つは悪政だったかも。これらは馮太后の死後、孝文帝が単独でやったことだが。

鮮卑の伝統、祀天を廃止

姓族の分定

鮮卑なら一様に漢民族より尊いとされていたのが、鮮卑の氏族に上下をはっきりさせ、中下層の鮮卑は上層の漢民族より下に置かれ、官僚は漢民族が優遇されているし、貧しい生活を強いられた。柔然からの侵略を防衛するため、六鎮の兵士として北の辺境地での就職を強いられた。

「どうせ、俺たちってよー脳筋扱いかよ、同じ鮮卑出身なのによー。所詮、捨て駒に過ぎないよな。」

528年 河陰の変

霊太后が孝明帝を殺害、葛栄ら反乱軍を鎮圧した爾朱栄が霊太后以下宮中の皇族を殲滅し、孝荘帝を擁立し外戚として権力を掌握。

529年 六鎮の乱

高歓が爾朱栄一族を殲滅。孝武帝は高歓を嫌って宇文泰を頼って西へ遷都して西魏を建国。宇文泰の子・宇文覚が帝位を簒奪して北周を建国。

高歓は孝静帝を擁立し東魏を建国。高歓の子・鬼畜の高洋が帝位を簒奪して北斉を建国。

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