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2021年7月 6日 (火)

憎むべき江戸時代

鹿鳴館のドレスサイズが現在の小学校4年生くらいだったという事実。

どれだけ徳川幕府は、日本国民を栄養失調状態に追い込んでいたかが証拠として残っている。とにかく江戸時代の成人男女の身長が一番低かった。成人男性150cm、成人女性140cm。特に11代徳川家斉は最低だ。将軍様ご先祖参りてったって10人もいるし、いちいち同じサイズの鯛3匹をお祭りしていたのではいくら税金を召し上げてもキリがない。大奥経営に国家予算の1/4を使った。

京都大学2015年日本史入試

18世紀以降、農村・農民政策の展開について記せ。

享保改革では、年貢収入の増加を図りつつ本百姓体制を維持するため質流地禁止令を発したが、質地騒動を契機にいったん妥協し豪農重視の政策へと転換した。その後、飢饉が相次ぐと農民の階層分化が進展し農村は荒廃した。そのため、寛政改革では、農村復興策として囲米が実施されたほか、都市に流入した貧民の帰郷が促された。文政期には関東の農村を寄合組合に編成して治安確保に努めた。天保改革では江戸に流入した農民の帰郷強制を命じた。

付け加えると、経済学音痴による度重なる緊縮財政により慢性的にデフレを維持して、都市と農村の貧富差をますます悪化させ徳川譜代の既得権益の維持に努めた。江戸市民は白米をファーストフード感覚で食べ、地方農民は年貢米を召し上げられたため、麦・粟・稗を食べていた。

赤穂浪士の忠臣蔵討ち入りでは、敵に力で勝つため、大石内蔵助らは近江牛の味噌漬けを食べていたというのは有名な逸話だ。

にわか幕臣に意図せずなってしまった渋沢栄一が、生涯、官尊民卑を憎んでいた気持ちはよくわかる。

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