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2021年6月25日 (金)

日本史の勉強

ゆめラジオさんのYoutubeで平清盛の生涯を学びました。

治天の君になるには上皇になるだけではダメで、皇位継承決定権をもつ上皇でなければならないこと、そして子供が天皇に即位していることが必要。複数の上皇が立っても、治天の君には一人しかなれない。

醍醐、村上のあいだに挟まれた朱雀天皇のとき、天慶の乱がおこった。

源氏と平氏の対立とみるのではなく、人はみな自分の金儲けと出世しか考えていないという観点から平安後期を見直していました。

源氏は摂関家にべったり、平氏は院にべったり。源平のような兵士団を食わせ維持するためには、常に仕事を与えつづけ恩賞を与えつづける必要があった。源頼光は、なんか仕事ないっすかと常に藤原道長邸宅の周囲に侍っていた。

平清盛が後白河法皇を幽閉したごく短期間だけが平清盛の天下。髄膜炎でほどなく清盛が死ぬ。それは同時に次のことを意味した。後白河の荘園領主が、清盛らの荘園領主に負け、荘園を奪われた。莫大な荘園を抱えるやり手婆の八条女院に匿われていた後白河から嫌われ者の以仁王が、一か八かの大博打で挙兵した。その前に手回しとして、負けた荘園領主連中に荘園を取返しさらに清盛らの荘園もお前に恩賞としてやるぞと言って兵力を急激に増大させた。平氏が短期間にほぼ滅んでしまったのはこういう理由があったのか。

(1) 平清盛 一代の栄華 Part 1 唐の滅亡と天慶の乱 田中一平×ゆめラジオ 2021.06.23 - YouTube

「平家物語」史観からの脱却。最新の史実に基づいた授業でした。まずは、律令制、負名体制、荘園公領制の理解が必要。各階層の担い手の実態をしっかり学びましょう。人はみな自分の金儲けと出世しか考えていない、自分が生きることで精一杯なのです。

藤原仲麻呂や桓武天皇が蝦夷討伐に躍起になっていた理由として、渤海からの使節が新潟や秋田に勝手に上陸して外交を求めてきたことを挙げられていました。沿海州から日本海の潮流に乗れば新潟や秋田に漂着するんだよね。そのとおりだよね。平安貴族は渤海使節からもらった毛皮を自慢し重宝にしていたわけだし。板張りで壁なしの宮中は寒いわ。トイレは小さな箱で用を足して、使用人に与えていたなど窮屈すぎる。下痢の時はどうすんねん。ちなみに渤海には日本から返礼使節を送り返していない。来たいのなら勝手にお前が来いという上から目線で迎えました。

古代から中世までは東アジア史まで含めた日本史の理解、近世からはヨーロッパ史までふくめた日本史の理解が必要と思われます。

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