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2021年6月27日 (日)

平安京

藤原氏による他氏排斥にはじまり、藤原四家の内部抗争、さらに藤原北家の内部抗争をみるにつけ、各貴族邸宅に侍る近習どもが荒くれるのは、容易に理解できる。暴走牛車に轢かれて死ぬのでうかうか道路を歩けないし、牛車どおしのショバ争いは日常茶飯事、近習同士の喧嘩や殺し合いも日常茶飯事であった。そんな反社会的近習が、国司に付き添う郎党を務め、地方に派遣され徴税を補佐したのだから、日本国じゅうが下々まで争っていたのも容易に理解できる。

とにかく、まともな神経を持った人々は、とても平安京なぞに住めなかった。風呂は月1でかなり臭かったし、御簾で覆うだけの暮らしは寒いし、冷え性の女性はそりゃ十二単や毛皮を着るだろうし火鉢はかかせない。方違えや占いなど迷信ははびこるし、あの世の幸せを願う阿弥陀仏信者は増えるばかり、遺体を地面に埋めることを許されず疫病は蔓延し続けるし、賀茂川や桂川の氾濫で多くの人が死ぬし、いっこうに右京の建都工事が進まなかった。粗悪な工事も多かっただろう。宇治平等院をはじめ、寺社建築も新たに建てるより、北九州・旧倭国から移築するほうが安上がりだった。

臣籍降下された平氏や源氏が貴族軍人としてなんとかまともなくらい。なにか常に仕事をやらないと大人数の軍団はめしが食えないし、離脱者が続出する。やさぐれた奴は手のつけようがなかった。反社会的近習の大親玉が武士であった。道端に誰のものだったかわからないような手やら指やら足が落ちていた。野良犬がそれらを食べた。

軍事国家であった平安がよっぽどひどくなければ、鎌倉初期の短期間にあんなに仏教中興が爆発的に大流行するわけがない。統治者が公家から武士に代わり、民が人間らしく生きることが許された時代がようやく再び到来した。絢爛豪華な倭国の滅亡、白村江の敗戦以来、中央集権のための重税に苦しんだ、長くて暗い500年余りを抜け出た。薄絹で快適に過ごした昔の暮らしはよかったなあと、源氏物語をよみふける貴族が多かったのも理解できる。京都は寒く、古の大宰府は暖かい。

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