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2021年4月11日 (日)

京都国立博物館「鑑真和上と戒律のあゆみ」をみて

9:18大和西大寺発の近鉄特急で京都へ。人出はガラガラでしたが、東京人がちらほら。タクシーの運転手さんの話では、東京で開催される鑑真和上は混雑がひどすぎるので、わざわざ京都まで来ているそうです。唐招提寺は1年に1回しか鑑真和上坐像を特別公開しませんので、奈良市民もおいでやす。ゆったりと何回も観ることができました。

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 出家者らしく生きるための自律的な生活規則

 出家者の集団生活における他律的な規定と罰則

鑑真は日本に戒律をもたらすために来日しました。おまんまを食べるための未公認坊主が日本国じゅうにはびこっていたからです。具体的には、「梵網経」を授けました。受戒という行事の既得権益を侵された薬師寺と大きく対立しました。聖武天皇は、法相宗の戒律を日本に持って来いと命じたのに、留学僧たちが持って帰ったのは天台宗の戒律だったのです。唐では法相宗は廃れており、天台宗が全盛期を迎えていたからです。

さあ、唐招提寺からの貴重な出品。

国宝 鑑真和上坐像 なかなかお会いできませんでした。

国宝 金亀(きんき)舎利塔 鑑真さんの骨が見えました。

国宝 金堂天井支輪板 彩色が残っているから国宝かい。

国宝 獅子吼(ししく)菩薩立像 

四本腕(四臂)の不空羂索観音像。普通は八本腕(八臂)なので珍しい。

負けじとわが西大寺からも出品。

国宝 興正菩薩(叡尊)坐像 

西大寺を中興したのが叡尊。ふだんは本堂に鎮座してます。今日はまだ展示なし。

国宝 金銅宝塔 西大寺を訪ねると目立たない倉庫に展示してある感じ。

天平12年(740)、光明皇后が「五月一日経」を発願。東大寺大仏開眼供養のとき、だらだらと全巻読誦されました。

根本説一切有部(うぶ)

十誦律(じゅうじゅりつ)

摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)

四分律(しぶんりつ)

五分律(ごぶんりつ)

東征伝絵巻 栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)が鑑真を日本に招きました。

鑑真が着た袈裟 すごい!

唐招提寺伽藍図 昔は広かったんだねぇ。

光仁九年(818)、最澄「山家学生式(さんげがくしょうしき)」日本で具足戒を守るのは困難として、僧侶であっても大乗戒のみでよいとした。奈良の僧侶に対する理論武装として、「顕戒論」「内証仏法血脈譜」を著した。逆に大乗戒を修めなければ密教は教えないと応酬した。

国宝 円珍戒牒(かいちょう)

鑑真が「受戒」によってもたらした制度。

(在家)男・女 → 沙弥・沙弥尼 → 比丘・比丘尼

比丘・比丘尼になったとき交付された身分証明書を「戒牒(かいちょう)」と呼ぶ。

国宝 法然上人絵伝

法然で念仏が登場。法然自身は正式の受戒を受けていたのに、親鸞は妻帯。弟子には破戒?

国宝 五智如来坐像 安祥寺

真言宗の恵運(けいうん)が唐に留学して安祥寺を建立、仏教文物を日本にもたらした。

叡尊が着た袈裟

実際の坊さんたちの木像や画像がみどころ!

大悲菩薩(覚盛かくじょう)坐像

叡尊と覚盛と円晴と有厳(うごん)は嘉禎二年(1236)、東大寺法華堂(羂索院)で受戒。叡尊は西大寺を中興、覚盛は唐招提寺へ入寺した。運慶の父、康慶の愛弟子であった成慶(じょうけい)が作った。

有厳上人像

解脱上人(貞慶じょうけい) → 戒如 → 有厳

徳川綱吉の生母・桂昌院が隆光(りゅうこう)を信仰。隆光は生類憐みの令を進言した。その隆光の自筆の詩が書いてある。

円覚上人像(導御)

導御(1223-1311)は壬生寺を中興した。新選組は今日も行く!!

叡尊像と叡尊自筆書状 ひらがなで書いてある。

忍性菩薩像 忍性は叡尊の弟子。文殊菩薩を信仰。今まで特別展で何度もみた!

慈真和尚像(信空) 信空は叡尊の弟子。般若寺を中興。叡尊の死後、西大寺二世となった。

文観が描いた文殊菩薩像 文観(もんかん)は信空の弟子。播磨を現場とする土木建築に長けており、後醍醐天皇と乱交パーティに興じた生臭坊主。亡き母の追善菩提を弔うために描いた。

叡尊 → 信空 → 文観

ここから東大寺、巻き返しの展示。

円照上人像 円照(えんしょう)は叡尊と覚盛に師事して海龍王寺の住職を務める。東大寺戒壇院を中興。ちなみに重源は東大寺金堂を先立って中興。

凝然徳像 凝然(ぎょうねん)は円照に師事。他宗の僧たちと幅広く交流したドン。

叡尊 ⇔ 覚盛 → 円照 → 凝然

国宝 戒壇院定置(さだめおき) 凝然自筆の書状。円照以来、真言宗独自の戒律を授けた泉涌寺(せんにゅうじ)の影響が深く、叡尊の西大寺流戒律と異なった学風であった。今年は凝然国師没後700年である。

久米田寺のお宝。

安東蓮聖(れんしょう)像・安東円恵(えんね)像 久米田寺を中興した在家豪商・スポンサー親子。顕尊を住職に招いた。

顕尊上人像 顕尊は覚盛の孫弟子。覚盛 → 慶運 → 顕尊

泉涌寺のお宝。

道宣律師像

元照(がんじょう)律師像

俊芿(しゅんじょう)律師像

俊芿(1166-1227) 大宰府観世音寺で具足戒を受ける。建久十年(1199)入宋、四明景福寺の如庵了宏から戒律を、超果教院の北峰宋印から天台を学び、泉涌寺を開山した。承久の乱を起こした後鳥羽上皇の厚い帰依を受けて発展を遂げた。伽藍図が展示してあったがものすごく広い。

道元禅師像 宝慶寺 道元が生きているときの写像!

西教寺のお宝。

慈威和尚(円観)像 円観は天台宗僧侶。文観とともに後醍醐天皇を支持。

真盛上人像 西教寺を中興。

西明寺のお宝。

明忍律師像 明忍(みょうにん)は仏教がまたまた廃れた世に生まれた。慶長七年(1602)、戒律の重要性を悟り、栂尾高山寺で自誓受戒し、西明寺を中興。慶長十一年(1606)インド留学を志すも、対馬にて1610年病没した。

高貴寺のお宝。

慈雲飲光(じうんおんこう)(1718-1805) 慈雲は伊藤東涯の古義堂に学び、法楽寺住職となり、のち高貴寺に移る。サンスクリット研究の第一人者となった。江戸末期は北斎や若冲のように抜きんでた人物が続出している。

13:40京都発の近鉄特急で大和西大寺に帰還。

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