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2021年2月 1日 (月)

アレクサンドル1世

父 パーヴェル1世

母 マリヤ・ヒョードロヴナ

アレクサンドル 1777年12月12日生まれ

コンスタンチン 1779年4月27日生まれ

エカテリーナ2世自身が、ロック、ルソー、バセドウ、ペスタロッチを読み漁って5歳まで教育。「おばあさまのABC」を執筆。グリムに手紙を頻回に送って孫自慢した。5歳から女性を遠ざけサルトュイコフ将軍が責任監督。マソン大佐・数学、サンボルスキー司祭・行き過ぎないギリシャ正教&英語、ムラヴィヨーフ作家・ロシア語、エカテリーナの彼氏の紹介でラアルプ共和主義無神論者・啓蒙思想&フランス語を担当。プロターソフ将軍は、アレクサンドルが呑気で怠惰な性格でコツコツ学ぶ姿勢に欠け快楽ばかり求めることを指摘。

フランス革命から王党派亡命者が相次ぎ、対フランス戦争を訴えるも却下される。ロシアの関心事はポーランドの最終分割だけ。プロイセン軍隊を偏愛し神秘思想にかぶれたパーヴェル1世はジャコバン主義者ラアルプと母エカテリーナ2世を大いに嫌悪した。祖母エカテリーナ2世60歳には毎晩ちがう20歳代の男たちが寝室に通っていた。1793年9月28日、結婚相手は自分と同じドイツ人でと決めていたエカテリーナの斡旋で、ドイツ人ルイーゼ(エリザヴェータと改名)と結婚。ポーランド人質貴族アダム・チャルトルィスキと親友になる。パーヴェルの皇位継承権を奪いアレクサンドルに与えるいうエカテリーナに反対したラアルプが解任更迭国外追放される。

*フリードリヒ大王の死後、プロイセン軍は腐敗堕落した。シュタイン&ハルデンベルクの軍制改革、ナポレオンを徹底的に研究したグナイゼナウの登場を待たねばならなかった。上杉謙信の義も一代にして滅んだように。

 

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