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2021年1月 5日 (火)

本能寺の変の真相

大河「麒麟がくる」が家康陰謀説を採用しそうだが、伊賀越えをどう説明するのかな。家康が堺で切腹して果てたいとまで言っているし、伊賀越えでは生命の危険が多大だったし、本当だとするとずいぶん間抜けな家康になるが。光秀と家康が密約していたなら、本能寺の変後、光秀は家康の身の安全を確保に行っていたはずだが実際そんな動きは皆無だし。

天王山の戦いで秀吉が勝った後も家康が三河に帰ってなければ、今度は秀吉が家康を討っていたかもしれない。

光秀自身が医師であった。止血術に長けており、義昭に近づく動機になった。

本能寺の変では光秀は鳥羽で待機しており、実際に本能寺に踏み込んだのは、斎藤利三と明智秀満であった。

2万人に及ぶ明智軍が狭い街道を一列になって歩くとかなりの距離になり、行軍の途中で命令変更など不可能だ。

明智軍に加わった足軽の手記がみつかっており、家康を討つものだと考えていた。まさか信長を討つとは思っていなかった。つまり、家康が京に居ても堺に居ても、光秀の残党に討ち取られる危険がものすごくあった。

信長自身が中国の秀吉軍に合流するため、明智軍を本能寺に呼び寄せていた。

本能寺の変では、何の抵抗もなく門番が開門してしまっており、信長は速攻で討ち取られてしまっていた。信長の首は、本能寺の僧が東海の寺院に持ち去ったという説がある。

光秀の謀反の動機は、四国征伐の命令。光秀は長宗我部との姻戚関係があったし、三好衆の隠れ家だった阿波を攻略してくれた恩義もあったと私は思う。

吉田神社陰謀説、朝廷陰謀説もあろうが、お公家さんは信長、義昭どちらが勝ってもいいようにしていたと思う。積極的関与があったとは思えないが。

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