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2021年1月29日 (金)

「タタールのくびき」そして「エカテリーナ2世」

茂木誠先生の講義は非常に勉強になる。ヨーロッパ各国へ傭兵を出した国はスイスとジェノヴァ共和国。ともに傭兵しか輸出品がないもっとも貧しい国だったそうだ。スイス人がオーストリア人を嫌っていたのでフランスの傭兵になったそうだ。スイスってもともとハプスブルク家が治めていた地なのに、なにかやらかしていたのだろうか。テンプル騎士団はおもにフランス発祥、対するドイツはドイツ騎士団という団体さんがいて、じめじめの沼地だらけのバルト三国に棲む非キリスト教土着民を殲滅して土地をポーランド王国から分けてもらい、傭兵として生計を立てていたし。これがのちのプロイセン、それからドイツになっていく。

ルーシ(ロシア)も不毛の地ゆえ、ビザンツ帝国に傭兵を輸出していたし同じだったのでは。モスクワ大公国はモンゴルの襲撃を受けてキプチャク汗国に貢物をしなければ襲われるという繰り返し。いわゆる「タタールのくびき」は長期間続いていた。ピョートル大帝あたりでやっと鎖がほどけたのかな。ビザンツ帝国が滅んだその日に、最後の皇女ソフィアを馬で連れ去り、その命をなんとか救い上げてイヴァン3世が娶り、ローマ帝国の後継者と自負してみたものの、勇名を馳せるまでには時間がかかった。ロマノフ王朝に嫁いだポーランド系ドイツ人エカテリーナが、ロシア伝統の軍服を廃止してプロイセンの軍服に変えるというフリードリヒ大王かぶれの夫ピョートル3世を殺害してクーデタをおこしエカテリーナ2世になったのだが、父親が誰の子かわからないような子供がぞろぞろ生まれ、嫡男パーヴェル1世がパッとせずこんなの皇帝にしておけないということで暗殺される。パーヴェルの嫡男アレクサンドル1世も優秀なミハイル・クトゥーゾフ総司令官がいたので評判があがっただけ。庶民の権利を認めようとせず、逆に弾圧を繰り返し、最後は労働者革命の憂き目にあってしまった。

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