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2020年9月 6日 (日)

西垣遼先生「広瀬・片岡の王家―古墳からみた地域開発」

長屋王邸宅の瓦が香芝町の広瀬郡(古代の片岡)で焼かれていた。

香芝町一帯は葛城氏が支配していたが、没落したため古墳建造が5~6世紀中断されていた。

藤山丘陵古墳群

6世紀末~7世紀末

志都美丘陵古墳群

6世紀半ば~7世紀初め 今泉、畠田

7世紀半ば 平野

有力氏族がいなかった場所に、近代的な技術が導入され開発された。亀の瀬の大和川渡りは険しく、新しく片岡に大坂から飛鳥に入るための新道が建設されたのである。

押坂人彦大兄皇子(敏達大王の息子)の墓 牧野古墳 6世紀後半

王(押坂人彦大兄皇子の息子)の墓 平野塚穴山古墳

この二人の皇子が開発のきっかけになった。押坂人彦大兄皇子が息子の茅渟王に片岡の土地を与え、茅渟王の娘の皇極・斉明天皇へと渡り、その末裔である長屋王が所有していた。

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