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2020年8月13日 (木)

本能寺の変の真相

いろいろ説がありますが、有力なのは次の二つかな。

(1)母・お牧怨恨説

第二次丹波攻略で、八上城に籠城する波多野秀治の惨状を哀れんだ光秀の母・お牧が、自ら人質に志願。助命を条件に波多野秀治が降伏したが、安土城に送還され、天正7年6月2日、安土城下の慈恩寺で磔刑となった。同年6月2日、母・お牧は報復として八上城の松の木にて磔刑にあった。光秀はこのとき信長を恨み、天正10年6月2日、奇しくも母の命日に、光秀は本能寺の変を決行した。

(2)長宗我部元親関与説

長宗我部元親と明智光秀は、家臣・斎藤利三を通じて懇意であったが、信長が元親と断交し、秀吉と懇意であった三好康長の支援に変更した。秀吉とライバル関係にあった光秀は、元親の苦哀を察するとともに、背後に自分を狙う秀吉の影を見て取って、信長を討つ決意をした。

天皇家を下にみる信長に朝廷が怒っており、吉田神道を中心に信長暗殺を狙っていたのもわかるし、毛利氏に身を寄せる足利義昭が常に信長の命を狙っていたのもわかる。信長に足蹴にされた光秀自身が、暴君化した信長を討つ機会をうかがっていたとする光秀野望説も自然な流れでしょう。

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