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2020年8月12日 (水)

篠山城を訪ねて

朝イチ、自家用車で丹波篠山を観光しました。市営三の丸西駐車場(200円ポッキリ)に車を停めました。

1人600円の割引券で、

篠山城大書院(おおしょいん)

鉄門(てつもん× くろがねもん〇)を潜れば大書院。

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武家屋敷安間(あんま)家史料館 槍術皆伝目録、鎧兜、陶器、眼鏡、算盤が残っている

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青山歴史村 篠山藩の金庫が残っており、デカンショ館併設

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歴史美術館 明治時代の裁判所法廷が残っている

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の順で、まわりました。

丹波篠山は、黒井城攻略中の光秀を背後から撃ちまくった波多野秀治(はだのひではる)が治めた地でした。八上城(やかみじょう)が根城。

関ケ原の戦い以降、八上城に家康の子・松平康重を住まわせていましたが、慶長14年(1609)、平地に篠山城築城を命じました。家康の狙いは二つ。

(1)大坂の陣に参陣する好位置を確保するため

(2)西日本の大名と豊臣秀頼の大坂方との経済連携を断つため

つまり家康は、1609年には、はっきりと豊臣秀頼を倒す意志があったということになる。

松平(松井)家 → 松平(藤井)家 → 松平(形原)家 → 青山家

と大名が移り変わりました。明治維新後、青山家が教育熱心で、丹波篠山の山猿(若い武士)をたくさん、江戸(東京)の旧制第一高等中学校(のちの旧制第一高等学校、東京大学教養学部)に送り出し、彼らが寮で歌ったデカンショ節が東京帝大を中心に歌われました。

デカンショ デカンショで半年ゃ暮らす

あとの半年ゃ 寝て暮らす よーい、よーい、デッカンショ

夜通し友だちと哲学を論じて眠いわ、代返たのむで、わしゃ寮で寝るわ

丹波篠山 山家の猿が

花のお江戸で芝居する よーい、よーい、デッカンショ

真っ黒に日焼けした頑丈で前途洋々の男子が、笈を負ってはるばる、花の東京で一旗あげに来たぞ

酒は飲め飲め 茶釜で沸かせ

お神酒あがらぬ 神はなし よーい、よーい、デッカンショ

お前は未成年かもしれないけれど、俺より偉い神様が許すのだから、さあ俺の玉杯を受けろ

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狩野惟信の屏風絵。

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