唐に愚帝がつづき、国境を警備する節度使が割拠独立。唐皇帝はピンチになると蜀の成都に逃避した。
*唐皇帝の近衛兵 「神策軍」
*節度使の傭兵 「牙軍」

875年~884年黄巣の乱を鎮圧したのは、反乱賊軍から唐の討伐軍に寝返った二人、朱温と李克用。お互いに皇帝として認めない犬猿の仲。
(1)汴州(開封)節度使 朱温(朱全忠) 後梁建国
(2)河東節度使 突厥系沙汰族 李克用 晋建国
→ 実子の李存勗 10年かけて燕と後梁を滅ぼし後唐建国
*李存勗は発展していた開封でなく寂れた洛陽に遷都したため、節度使軍団兵に払う給料が少なく不満が高まった。
→ 仮子の李嗣源 李存勗を暗殺。巡検使を地方に派遣。騎兵・歩兵から成る「侍衛軍」を設置。馮道を宰相に任じた。
→ 養子の李従珂 馮道とともに善政を継ぐ。
(3)鳳翔節度使 李茂貞 岐建国 → 後梁と前蜀に挟撃され領土割譲 → 後唐によって滅亡
(4)永平節度使 王建 前蜀建国 → 後唐によって滅亡
→ 突厥系沙汰族 孟知祥 後蜀建国
*蜀の成都は印刷術を誇り、書物出版の中心となった。
(5)盧龍節度使 劉仁恭
→ 実子兄の劉守文を殺した実子弟の劉守光 燕建国 → 後唐によって滅亡
(6)河東節度使 石敬塘
契丹に鉄・石炭の産地「燕雲十六州」を献上し、後唐を挟撃し滅ぼし、後晋建国。桑維翰と劉知遠が文官として仕えた。
→ 石重貴が契丹に反抗し幽囚され、華北の民は契丹から掠奪・殺害されまくる。
→ 突厥系沙汰族 劉知遠 反契丹抵抗運動を操り、後漢建国
→ 後漢建国の元勲であった郭威 後周建国
早逝した劉知遠の弟、劉崇が、契丹に従属して北漢建国。後周とライバル関係になる。
*郭威は趙匡胤とともに「殿前軍」を設置。地方の藩鎮で武器を造ることを禁止し、熟練工を中央に集めた。
→ 養子の柴栄が後継し、「後周の世宗」と呼ばれ善政をおこなった。馮道を宰相とした。
*高平の戦い。趙匡胤の活躍で、契丹・北漢連合軍を破る。
*南唐の李昪・李璟が契丹と結び、後周を挟撃。世宗は南唐を屈服従属させる。
*免税手段の僧尼を還俗させ課税。仏像を破壊して銅銭「周通元宝」鋳造。
*燕雲十六州奪還をめざし、北漢攻撃するも早逝。
→ 趙匡胤(太祖)が禅譲で宋建国

*太祖 荊南・湖南・後蜀・南漢・南唐を滅ぼす。
*太宗 呉越・北漢を滅ぼす。
*節度使を実質解体して、科挙文官による中央集権に一変した。その分、外国侵略に弱い国家体制になってしまった。
(7)鎮海節度使 銭鏐 呉越建国。後梁・後唐・後晋に服属し、宋に無血開城。遣唐使廃止後も、日本の藤原氏と私的交易おこなう。
(8)准南節度使 楊光密 呉建国
→ 李昪 唐の末裔と自称し、禅譲を受け南唐建国。
→ 李璟 閩と楚を滅ぼす。呉越には敗北。
→ 李煜 文房四宝(筆・硯・墨・紙)
*呉越、呉、南唐は製塩・製茶の中心地。
*南唐が纏足(てんそく)の風習を生み出した。李璟・李煜による「南唐二主詞」
(9)静海軍節度使 漢の末裔と自称した劉隠 南漢建国。南海貿易で巨万の富を築く。唐貴族・宦官の亡命地。
(10)威武軍節度使 王審知 閩建国。倹約、減税に努めた。客家(はっか)の中心地。
(11)湖南節度使 馬殷 楚建国。製茶の中心地。鉛銭「開元通宝」・鉄銭「天策府宝」・鉄銭「乾封泉宝」・紙幣「券契」を鋳造。後梁・後唐に服属するが、南唐に滅ぼされる。湖南を一時中興するがすぐに宋に滅ぼされる。
*楚の紙幣「券契」が宋の紙幣「交子」・「会子」になっていく!
(12) 荊南節度使 高季興 荊南建国。後梁・後唐・呉・後周に服属したが、南唐とは対立。宋に無血開城。国内交易の中心地。
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